「私がマッツに出会ったのは、キーボードの後ろの世界でした。そこは、あなたが誰で、どんな体型で、どう見えるかが全く問題にならない世界です。
そこで重要なのは、あなたがどんな人間になるか、そして他人に対してどのように振る舞えるかです。重要なのは、ここ(頭と心臓に手を置いて)にあるものなのです。」
マッツの友人「ノミネ」ことカイ・サイモンの葬儀での言葉
今回ご紹介する作品は、映画『イベリン 彼が生きた証』です。
本記事では、Netflixドキュメンタリー映画『イベリン 彼が生きた証』を観た感想・考察、あらすじをネタバレありで詳しく解説します。
難病で若くして亡くなった青年が生きた現実世界とゲームの世界。ドキュメンタリー映画としての構成も見事でした!
作品情報・配信・予告・評価
監督・スタッフ
監督:ベンジャミン・リー
名前 | ベンジャミン・リー |
生年月日 | 1989年7月10日 |
出身 | ノルウェー・ホール |
監督はノルウェーの映画監督ベンジャミン・リー。大学で映画製作を学んだ後、BBCとロイター通信でフリーのジャーナリストとして活動。
2011年に起きたアンネシュ・ベーリング・ブレイビクによるノルウェー連続テロ事件(ウトヤ島と庁舎爆破事件)では、取材者として大きく報道に携わっています。
2020年には、才能ある画家と彼女の作品を盗んだ泥棒との数奇な関係を3年間に渡って映したドキュメンタリー映画『画家と泥棒』で話題を呼び、世界の映画祭で30を超える賞を受賞し、BBCとワシントン・ポスト、ガーディアンは2020年のベストドキュメンタリー映画に選出しています。
そして3作目のドキュメンタリー映画が本作『イブリン 彼が生きた証』です。サンダンス映画祭で初公開されると、ドキュメンタリー映画賞と観客賞を受賞しました。マッツは25歳で亡くなりましたが、リー監督は奇しくも彼と同い年の1989年生まれでもあります。
『画家と泥棒』もすごいドキュメンタリーでしたので、本作と合わせておすすめ!
ネタバレあり
以下では、映画『イベリン 彼が生きた証』の結末に関するネタバレに触れています。注意の上、お読みください。
両親から見た息子マッツの人生
Netflixドキュメンタリー映画『イベリン 彼が生きた証』は、難病によって25歳で亡くなったノルウェーの青年マッツ・スティーン氏の人生と、ゲーム世界での生活の両面を描いた作品です。以下では、マッツ=イベリンの人生を振り返っていきます。
2014年11月18日、ノルウェーに暮らす青年マッツ・スティーンがデュシェンヌ型筋ジストロフィーで亡くなりました。25歳でした。デュシェンヌ型筋ジストロフィーは、主に男児に発症する進行性の筋肉疾患で、筋肉の萎縮と衰えが進行する遺伝性の病気です。
マッツは幼少期にこの難病を診断されると、10歳の頃には車椅子での生活を余儀なくされていきます。マッツの両親は息子が長く生きられないことを悟りながらも、彼の人生が幸せなものであってほしいと、彼が興味を持つものを与えることにしました。それがマッツとゲームとの出会いです。
それ以降、マッツは10年間に渡り、オンランゲーム『ワールド・オブ・ウォークラフト』(WoW)を約2万時間プレイし、彼の人生の大半を費やすことになります。
両親はマッツを外出させたり同世代の子どもたちと遊ばせたりなど、社会生活を送れるように働きかけますが、晩年のマッツは自室に引きこもり、ゲームにのめり込むようになっていました。
息子の死後、悲しみに暮れる両親は、マッツがプレイしていたゲーム仲間に死を知らせるため、彼の遺したブログを通じて息子の訃報を知らせます。当時の両親は「ブログを見ている人がいるのかもわからない状態だった」と明かしています。
翌朝、ブログに載せたメールアドレスには、世界中の人々から悲しみを表すメールや、マッツのWoWでのプレイヤー名「イブリン」と過ごした有意義な時間を語るメールが大量に届きました。
両親は、息子が恋愛や友情、社会とつながることを知らずにこの世を去ったことがこの上ない痛みだと考えていましたが、2人は間違っていました。
オンラインゲーム上での「イベリン」としての人生
映画は大きく分けて2部構成になっています。前半では両親がマッツと過ごした人生を家族が記録したホームビデオを中心に映し、後半では、両親が知らなかったマッツのオンラインゲーム上での人生が描かれていきます。
後半パートでは、マッツがWoWで実際にやり取りした会話のログデータを元に、ゲーム世界を3Dアニメーションとして再現しており、視聴者はマッツがゲーム内で過ごした人生と、彼が出会ったオンライン上での交流を追体験することになります。
マッツは、『ワールド・オブ・ウォークラフト』(WoW)のゲーム世界に没頭しました。このゲームは、2024年に20周年を迎える世界的人気ゲームで、大人数のプレイヤーがひとつの世界に参加する「MMORPG(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)」のジャンルです。
ゲーム世界の「惑星アゼロス」には、現実世界と同じように大陸があり、海があり、森や平原、村や都市があります。マッツはほとんどの時間を東の王国と呼ばれる地域で過ごしました。
プレイヤーは、クエストをクリアしたり、世界を旅したり、人々と交流したりなど、遊び方は多岐にわたります。映画は、マッツがWoW内のキャラクター「イベリン」として、様々な人物と出会い、影響を与え合っていたことが明かされていきます。
「ルーマ」ことリゼットとの出会いと恋
Patrick da Silva Sæther / NRK
中でも印象的なのが、「ルーマ」ことリゼットとの出会いです。当時のマッツが16歳で、リゼットは15歳でした。2人はゲーム世界の中で意気投合すると、リゼットにとってマッツは、悩みを打ち明けられる存在になっていきます。
しかしある時から、ルーマがゲームに現れなくなってしまいます。ゲームに熱中するティーンエイジャーの娘を心配したリゼットの両親が、彼女からゲームを取り上げていたのです。
ルーマがゲーム世界に現れなくなっても、マッツは友情を失いませんでした。マッツはリゼットにメッセージを送り、彼女の両親に宛てた手紙を書いたのです。
Patrick da Silva Sæther / NRK
マッツにとって、ゲーム世界で育んだルーマとの関係は、初恋そのものでした。ゲームの世界で2人は長い間、一緒に時間を過ごし、プレゼントを贈り合ったり、キスをすることもありました。
「もしも自分に障がいさえなかったら…」
仲良くなったプレイヤーは、ボイスチャットやビデオチャットを介してコミュニケーションを取ることも多くありましたが、マッツは頑なにそれを拒み、テキストでのやり取りに徹しました。マッツはそれでも長い間、リゼットとオンライン上での友情を続けました。
リゼットはイベリンがルーマを抱き寄せている絵を描き、マットに贈っています。マットはその絵を自分の部屋に大切に飾っていました。
マッツの苦悩と成長
Patrick da Silva Sæther / NRK
WoWの世界では、他のプレイヤーと協力して「ギルド」を結成することができます。マッツは、約30人からなる「スターライト」というギルドのメンバーでした。
スターライトはWoWの中でも特別なグループで、現在まで12年以上存在している強い結束力を持ったグループです。メンバーからの推薦で参加でき、試用期間を終える必要があります。
スターライトのリーダーである「ノミネ」ことカイ・サイモンは、マッツ、つまり「イベリン」と過ごした時間を共有し、彼の死後も毎年スターライトの追悼式を開催しています。
いつしかマッツは、ゲーム内で探偵「イベリン」として、いろんな人たちの悩みに寄り添う存在になっていました。
「レイク」ことデンマークに暮らすクセニアは、自閉症の息子との関係に悩む母親でした。彼女はマッツに悩みを相談すると、マッツは息子とゲームを介してやり取りすることを提案します。
そしてクセニアの息子ミケルは「ニックミック」としてスターライトに仲間入りし、それが親子関係を修復するきっかけにもなっていきます。
一方で映画は、マッツの暗い一面も映しています。時が立つにつれて筋力が落ちていくマッツは、次第に指も満足に動かせなくなってしまいます。それにより、ゲームでミスをしてしまうことで、彼と一緒にプレイすることを拒むプレイヤーが現れるのです。
するとマッツは次第にメンバーの悪口を言ったりなど、いざこざを起こし始めます。これはマッツがコミュニティ内で自分について詮索されることを恐れた防衛反応とも言えます。
ギルド内で孤立していくマッツを見かねたクセニアは、自分が彼に助けられたように、話を聞くことで変わるなにかがあるはずだと、マッツの悩みを聞こうとします。
マッツは、ゲーム世界の「イベリン」として生きていても、最終的に自分自身からは逃げられないことに気づいていました。ついにマッツはクセニアやサイモンらギルドメンバーに自分の状況を打ち明け、自分の間違った行動を謝罪しました。
ギルドメンバーはマッツのブログを通じて彼の人生を知ることになります。彼らは難病を抱えるマッツの事情を知り、驚きとショックを隠せませんでしたが、仲間のイベリンとして変わらずに接しました。
こうしてマッツの葬式には、彼の家族と親族以外に、彼や両親が直接会ったことのない人物が参列しました。それは一見すると奇妙なことに思えるかもしれませんが、彼らは間違いなく善き友人として繋がっていたのです。
マッツの両親は、マッツが「普通の人生」を送れなかったと悲しむのは勘違いだったことを、彼の死後に知ることになったと話します。マッツはオンラインゲームというデジタルコミュニティーの中で、初恋や友情、人助け、衝突、浮気に至るまで、普通の人々と同じように失敗と成長をしていたのです。
マッツの父ロバート氏は、「マッツが多くの時間を費やしたゲームの世界にもっと興味を持つべきだったと思う。そうしなかったことで、私たちは自分たちが知らなかったチャンスを逃してしまっていた。」と語ります。
マッツは自身のブログ「Musing of life」にて、人生の半分以上をコンピューターの前で過ごしてきたことについて、こう書き残しています。
「それは画面ではなく、魂が望むところへの入口なのです。」
権利未取得のまま製作された映画に、ゲーム会社が権利を提供
本作の監督ベンジャミン・リーは、ゲーム『ワールド・オブ・ウォークラフト』(WoW)の権利を持つブリザード社の許可を得ないまま、作品の完成に至ったとインタビューで明かしています。
リー監督は、2019年にノルウェーの公共放送NRKの記事を通じてマッツ・スティーンの物語を知り、彼の人生に強く心を動かされ、映画制作に踏み切りました。
「私はこう考えました。『あの膨大なアーカイブを翻訳し、実際の出来事や会話、キャラクターを元に再構築し、観客全員をその世界に招き入れることはできるだろうか?』と。」
「彼は実際にゲームの中で成長し、友情や愛といった人間的な経験を重ねていたのです。それがどんな感じだったのか、強く興味を持ちました。」
ベンジャミン・リー監督のインタビューより
マッツの人生を描くには、WoWの世界を通じた表現が欠かせませんでした。しかし、リー監督自身はゲーム経験がなかったため、YouTubeでWoWの動画を投稿しているファンたちの協力を仰ぐことにしました。
WoWファンであるYouTuberや、マッツのオンライン仲間たちの意見を反映し、リー監督は3年半をかけて3Dアニメーションでゲーム内の情景を再現しました。しかし、映画の完成が近づいてもブリザード社からの許可が得られておらず、許可がなければ映画は日の目を見ない可能性もありました。
ついに映画が完成し、リー監督はカリフォルニアにあるブリザード社本社を訪ね、社長たちに試写を実施します。
「とても緊張しました。何日も眠れませんでした。代替案もありませんでした。会議の前に呼吸をするために、喘息の薬を余分に飲まなければなりませんでした。」
ベンジャミン・リー監督のインタビューより
祈る思いで映画を見せた結果、幹部たちは涙を流し、「素晴らしい作品だ。ゲームの使用権利を提供しよう」と告げたのです。そして小規模なインディペンデント映画だった本作は、Netflixに購入され、全世界で配信されるに至りました。
ブリザード社は映画の配信に伴って、WoWのゲーム内で追加コンテンツ「REVEN PACK」をリリース。この売上金はすべて、デュシェンヌ型筋ジストロフィーに苦しむ患者や家族を支援する目的である非営利団体「CureDuchenne」へと寄付されます。
ゲーム内にはマッツ・"イベリン"・スティーンの墓が建立され、映画が配信された後、多くのプレイヤーが彼を偲んでロウソクを灯しています。このロウソクのアイテムは15分間しか灯し続けられませんが、追悼の火は絶えることがなく、彼の墓石を煌々と照らしています。
イベリンの父親・祖父は有名な政治家
実は「イベリン」ことマッツ・スティーンの父親ロバート・スティーン氏は、ノルウェーでは顔の知られた政治家です。ノルウェーの首都オスロで、市議会議員や財務担当議員を務めていました。
さらに、そんなロバート氏の父親でマッツの祖父に当たるライウルフ・スティーン氏は、労働党の党首を務めた人物です。T.M.ブラッテリ政権(71〜72年、73〜76年)では運輸大臣を、ノルドリ政権(76〜81年)では貿易大臣を務めています。
奇しくもライウルフ氏は、マッツが亡くなる2014年の11月8日の5ヶ月前、2014年6月5日に長年闘病生活を続けていたパーキンソン病で亡くなります。パーキンソン病は筋ジストロフィーやALS(筋萎縮性側索硬化症)と同様に、神経系や筋肉に影響を及ぼす疾患で、難病に指定されています。
ロバート夫妻にとって2014年は、父と息子を亡くすという悲痛な年にになったのです。
参考文献
Musing of life(マッツ本人のブログ)
Først da Mats var død, forsto foreldrene verdien av gamingen hans - NRK(リー監督の映画製作のきっかけになったNRKの記事)
Support Cure Duchenne With the Reven Pack - Blizzard(ブリザード社の追加コンテンツのプレス記事)