今回ご紹介する映画は『哀れなるものたち』です。
『ロブスター』『女王陛下のお気に入り』のヨルゴス・ランティモス監督、『女王陛下のお気に入り』のエマ・ストーン主演、1992年に発表されたアラスター・グレイの同名小説を映画化したSFコメディ映画。
本記事では、ネタバレありで『哀れなるものたち』を観た感想・考察、あらすじを解説。
R18でエログロ表現強めなので万人に勧められる作品ではありませんが、ランティモス監督作品の中でもストレートな主題が響く物語でした!
『哀れなるものたち』作品情報・配信・予告・評価
『哀れなるものたち』
5段階評価
ストーリー :
キャラクター:
映像・音楽 :
エンタメ度 :
あらすじ
風変わりな天才外科医ゴドウィン・バクスターの手によって死から蘇った若き女性ベラが、世界を知るために大陸横断の冒険の旅へ出る。時代の偏見から解き放たれたベラは、平等と解放を知り、驚くべき成長を遂げていく。
作品情報
タイトル | 哀れなるものたち |
原題 | Poor Things |
原作 | アラスター・グレイ |
監督 | ヨルゴス・ランティモス |
脚本 | トニー・マクナマラ |
出演 | エマ・ストーン マーク・ラファロ ウィレム・デフォー ラミー・ユセフ ジェロッド・カーマイケル |
音楽 | イェルスキン・フェンドリックス |
撮影 | ロビー・ライアン |
編集 | ヨルゴス・モヴロプサリディス |
製作国 | アイルランド・イギリス・アメリカ |
製作年 | 2023年 |
上映時間 | 142分 |
予告編
↓クリックでYouTube が開きます↓
配信サイトで視聴する
劇場で公開中
『哀れなるものたち』監督・スタッフ・原作
監督:ヨルゴス・ランティモス
名前 | ヨルゴス・ランティモス |
生年月日 | 1973年5月27日 |
出身 | ギリシャ・アテネ |
監督はヨルゴス・ランティモス。2009年の『籠の中の乙女』で世界から隔絶された家族の様子を描き、2015年の『ロブスター』では、独身が罪である世界を描き、2018年の『女王陛下お気に入り』では、野心と階級闘争を描きました。
どの作品も、監督特有の奇抜な箱庭的世界観の中でもがく登場人物の様子を描いたブラック・ユーモアが特徴です。本作もその流れの延長線上にあり、奇妙さやブラック・ユーモアはそのままで、監督作品の中でも一番スケールが大きい作品になっています。
原作:アラスター・グレイ
哀れなるものたち アラスター・グレイ Amazonでみてみる |
原作は1992年にスコットランドの作家アラスター・グレイによって発表された同名小説。2009年から映画の開発が始まっていて、ランティモス監督はグレイに小説の権利取得の話し合いを進めていました。
グレイはランティモス監督の『籠の中の乙女』を観て才能があると言いましたが、しかし、すでに80代だったグレイは、完成した映画を観ることはなく、公開されるよりも前の2019年に他界しています。
『哀れなるものたち』キャスト・キャラクター解説
キャラクター | 役名/キャスト/役柄 |
---|---|
ベラ・バクスター(エマ・ストーン) 胎児と共に自殺するも、ゴッドウィンによって胎児の脳を移植され蘇生した女性。 | |
ダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ) ベラを駆け落ちに誘い、世界に連れ出す放蕩弁護士。 | |
ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー) 顔に傷がある風変わりな天才外科医。 | |
マックス・マッキャンドレス(ラミー・ユセフ) ゴッドウィンの助手として働く医学生。ベラと婚約する。 |
エマ・ストーン
名前 | エマ・ストーン |
生年月日 | 1988年11月6日 |
出身 | アメリカ・アリゾナ州 |
主演はエマ・ストーン。ランティモス監督とエマ・ストーンは、2018年の『女王陛下のお気に入り』、2022年の短編映画『Bleat(原題)』に次ぐ3度目のタッグです。
本作のエマ・ストーンの演技はまさに圧巻。幼児の脳みそから成長して変化していく様子を見事に演じています。
マーク・ラファロ
名前 | マーク・ラファロ |
生年月日 | 1967年11月22日 |
出身 | アメリカ・ウィスコンシン州 |
ベラを世界に連れ出す放蕩弁護士ダンカンを演じたのはマーク・ラファロ。
数々の映画で助演として存在感を発揮した実力は本作でも抜群です。世間を知らないベラに大人として世界を教える一方で、ベラが自立していくと、ダンカンが幼稚で面倒な男性に変化していく姿は印象的。
ウィレム・デフォー
名前 | ウィレム・デフォー |
生年月日 | 1955年7月22日 |
出身 | アメリカ・ウィスコンシン州 |
ベラに脳を移植して蘇生した外科医ゴッドウィン役はウィレム・デフォー。彼のキャリアでは悪役的な印象も強いですが、本作のデフォーはフランケンシュタイン的な立ち位置として、ベラの父親の役割として、創造主としての役柄が印象的でした。
ラミー・ユセフ
名前 | ラミー・ユセフ |
生年月日 | 1991年3月26日 |
出身 | アメリカ・ニューヨーク州 |
ベラに恋する医学生マックスを演じたのは、ラミー・ユセフ。彼は、自身が主演・製作・脚本を手掛けたTVシリーズ『ラミー 自分探しの旅』で、ゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞しています。
ネタバレあり
以下では、映画の結末に関するネタバレに触れています。注意の上、お読みください。
【ネタバレ解説】『哀れなるものたち』はどんな話?あらすじとラスト
(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
映画は、ロンドンで若い女性が橋から飛び降り自殺するところから始まる。女性の遺体は、ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)という風変わりな外科医に回収され、ベラ・バクスター(エマ・ストーン)という名の人間として蘇生される。
ゴッドウィンとベラとマックス
ゴッドウィンは講義中、医学生のマックス・マッキャンドレス(ラミー・ユセフ)に声をかけ、助手として迎え入れる。マックスはゴッドウィンの被後見人であるベラと出会い、彼女の行動を記録することを指示されるが、すぐに彼女に夢中になる。
ゴッドウィンはマックスに、妊娠していた女性が橋から飛び降り自殺したこと、ベラの遺体を海から回収した後、彼女が妊娠しているのを見て、赤ん坊の脳を女性の脳に移植することで蘇生させたことを明かす。そのため、ベラは幼児の心を持ち、ベラはゴッドウィンを父親のように思っている。
マックスはベラにいろいろなことを教えながら一緒に過ごしていく中で、彼女は世界へ冒険することに興味を持ち始める。外出を強く望んだベラは、ゴッドウィンとマックスと一緒に公園でピクニックをするが、ベラの外の世界への興味が暴走すると、ゴッドウィンはクロロホルムで眠らせる。
ある時、ベラは自慰行為の快楽に気づき、繰り返し試みるようになる。その後、マックスはベラに好意を寄せていることを認め、ゴッドウィンの許可を得てベラに結婚を申し込み、彼女はそれを受け入れる。
リスボン
ある日、ゴッドウィンのもとにダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)という弁護士が現れる。彼はベラと出会い、すぐに彼女に好意を抱くと、ベラをリスボンへの旅に誘う。世界を冒険したいベラは、ゴッドウィンとマックスに自分の意志を告げると、2人は止めようとするが、ベラはマックスに戻ってきたら結婚することを誓い、彼を眠らせてダンカンと駆け落ちの旅へ向かう。
ベラとダンカンはリスボンに到着し、2人は絶え間なくセックスを楽しんでいた。同時にベラは1人で街に繰り出し、初めて見る新しい文化を体験する。ダンカンと同席した上流階級の人々の夕食の席では、ダンスを踊ったりして楽しんでいた。一方、ダンカンは他の男性がベラに興味を示して近づこうとする様子に苛立ち、喧嘩をしたりする。
一方、ロンドンでは、マックスとゴッドウィンはベラがいない寂しさを共有していたが、ゴッドウィンは新たにフェリシティ(マーガレット・クアリー)という別の女性を実験対象として育てていた。しかし、彼女の成長はベラほど上手く行かない。
船の上
ダンカンはやがて、遊び相手のつもりだったベラをコントロールしたいと思うようになり、彼はベラを大きなトランクに入れて、クルーズ船内に密航させる。
船上でベラは乗客のハリー・アストレー(ジェロッド・カーマイケル)とマーサ・フォン・カーツロック(ハンナ・シギュラ)に出会い、2人から哲学の話を聞かされ、その考え方に共感するようになる。
当初、ベラの子供のような純真さに惹かれていたダンカンは、ベラの言葉遣いの変化や彼女の成長を疎ましく思い、次第に酒とギャンブルに溺れ始める。
アレクサンドリア
ある時、船がアレクサンドリアに着くと、ハリーはベラに街で貧困に苦しむ下層階級の人々を見せる。ベラはその様子に心を痛めて取り乱し、ダンカンの金を集め、寄付しようと船の乗組員に渡す。
これによって資金がなくなったベラとダンカンは、マルセイユで船から降ろされることになり、無一文でパリに向かう。
パリ
パリで、ベラはマダム・スワイニー(キャサリン・ハンター)が営む売春宿で働き始める。ダンカンはベラが娼婦となったことに嫌悪感を抱き、彼女がゴッドウィンからもらっていた緊急資金を奪って去っていく。
ベラは売春宿で金を稼ぎながら、トワネット(スージー・ベンバ)という娼婦仲間と親しくなり、2人は一緒に社会主義を学んでいく。
一方、ダンカンは衰弱して施設に収容されていた。ロンドンのゴッドウィンは病に倒れ、マックスにベラを連れ戻すように頼む。マックスは施設でダンカンに会い、ベラの居場所を突き止めて手紙を送る。
ロンドンへ帰還
ベラはゴッドウィンの危篤を知り、ロンドンの屋敷に戻り、ゴッドウィンとマックスに再会する。ベラは自分の生い立ちを知り、彼がフェリシティを新たな実験対象にしていることに嫌悪感を抱くが、しばらくして和解する。
マックスは今でもベラに好意を寄せていることを打ち明け、2人は結婚することに決める。しかし、結婚式の途中で、ダンカンが連れてきたアルフィー・ブレシントン将軍(クリストファー・アボット)に邪魔される。彼が自殺する前のベラ(ヴィクトリア)の夫だと名乗ると、ベラは自分の過去を知るためにマックスを残してアルフィーのもとへ行く。
ベラの選択
ベラはアルフィーの屋敷で過ごす中で、彼が下層階級に残酷な仕打ちをして楽しんでいたこと、ヴィクトリアが妊娠したこと面倒に感じていたことを知る。ベラは、自分(ヴィクトリア)がひどい結婚生活から逃れるために自殺したのだと気づき、屋敷を去ろうと決心する。
一方、アルフィーは彼女を屋敷に監禁し、銃で脅してクロロホルム入りのカクテルを飲むよう命じる。しかし、ベラがカクテルをアルフィーの顔に投げつけると、アルフィーは自分の足を撃ち抜いて気を失う。
ベラはゴッドウィンの屋敷に戻り、ゴッドウィンの最期をマックスと一緒にベッドで寄り添って看取る。ベラはその後、マックスとトワネットの助けを借りて、医者としてゴッドウィンの仕事を引き継ぐことを決める。アルフィーはヤギの脳と交換され、フェリシティの知能は順調に成長している兆しが伺える。ベラは屋敷の庭で笑みを浮かべながら読書にふける。
奇妙だけど監督作品の中ではストレートな主題
(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
『哀れなるものたち』は、これまでのヨルゴス・ランティモス監督作品と同様に、奇妙な作品であることは変わりませんが、物語が描くテーマは、監督作品の中でも特にストレートなものでした。
一言で言い表すと、胎児の脳を成人女性の体に移植された主人公ベラの姿を通じて、性役割に疑問を投げかけるエンパワーメント、フェミニズム的な作品になっています。語り口は、2023年のグレタ・ガーウィグ監督の大ヒット作『バービー』の変化球バージョンと言ってもおかしくありません。
映画『バービー』ネタバレ感想・考察|賛否両論のフェミニズム映画
これまでのランティモス監督作品は、監督が作り上げた限定的(ディストピア的)な世界観の中で主人公がもがき苦しむ様子を観客が客観視することで、社会風刺コメディの形になっていました。ところが、『哀れなるものたち』では、その世界観の中で生み出されたベラが、彼女の好奇心、自由意志を突き進み、これまでの作品とは明確に異なる展開、結末を迎えています。
これは、作品が描くテーマと連動し、ベラが直面するあらゆる(男性たちからの)支配をすり抜け、世界観を打ち破っていくのです。
この表現はある意味、賛否両論があるのもうなずけますね!
『哀れなるものたち』タイトルとラストの意味
(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
自らの若き経験を以下に綴ったドクターは、1911年に死亡している。スコットランドの医学がどれほど大胆な実験に彩られた歴史を持っているかについて何も知らない読者は、その記述をグロテスクなフィクションであると勘違いするかもしれない。
『哀れなるものたち』序文1ページ目より引用
アラスター・グレイによる『哀れなるものたち』の原作の序文は、このように始まります。何が言いたいのかというと、原作小説はベラの物語を「実在した物語」として描いているのです。
原作本は、ベラに関する物語が第三者によって発見され(映画ジャンルで言うところのファウンド・フッテージ的イメージ)、グレイが編集者としてまとめるという枠組みになっています。
原作では、終盤で、さらなるメタフィクション小説としての仕掛けが施されていて、挿絵や構成などを含めて、ものすごい熱量を感じる一冊となっています(読むハードルは高めですが、映画に合わせてぜひ!)
哀れなるものたち アラスター・グレイ Amazonでみてみる |
物語が見つけられたとき、『スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話』というタイトルが付けられていましたが、グレイによって『哀れなるものたち』と改題されたことが導入文章で書かれています。グレイはそのタイトルについて、以下のように書いています。
わたしは同時に本書に『哀れなるものたち』という新しいタイトルをつけるよう主張した。もの、はこの物語の中で何度も言及されており、また登場人物は誰をとってもどこかの段階で、哀れな、と形容されたり、みずからをそう呼んだりしている。
『哀れなるものたち』序文8ページ目より引用
映画を観ていくと、さまざまなやり方でベラをコントロールしようとする男性たちに始まり、ベラ自身、自殺した生前のヴィクトリアまで、ひいては人類全体に対して「哀れなるものたち」と形容していることがわかります。
ベラを自分のものにしようとする男たち
映画では、ベラの大冒険を通じて、彼女がさまざまな男性たちと出会う様子が描かれます。そしてそのほぼすべてにおいて、彼らはベラを自分のものにしようとしていました。
ゴッドウィンは死んだベラを実験対象として蘇生させるも、彼女が外の世界への興味を持つことに対してよく思わず、世界から遠ざけようとしていました。
マックスとダンカンは、ベラの容姿の美しさと彼女の純真さに惚れ、それぞれ自分だけのものにしようとしました。彼女を連れ出して駆け落ちしたダンカンは特に如実にそれが描かれており、ベラが成長し、知性を獲得していく一方で、ダンカンが幼稚になっていく様子は印象的です。
船上で出会うハリーは、ベラの純真で無邪気な好奇心を、貧困という現実を見せることで破壊しようとしました。そして終盤に登場するアルフィーは、彼女を幽閉し、女性器を切除しようとします。
しかし、これらすべての男性たちの行動に対して、ベラは徹底的に反抗していきます。ベラは大冒険を通じて、以下のセリフを口にします。
私は冒険したけど、見つけたのは砂糖と暴力だけだった。(I’ve adventured and found nothing but sugar and violence.)
ラストの意味とベラの選択
(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
「砂糖と暴力」は、ベラの大冒険を表現する的確な表現と言えます。成人女性の体に幼児の脳というベラは、急速に成長していきますが、その過程で体験していく性的幸福、文化や哲学との出会い、社会主義、支配、搾取、貧困などをひっくるめて表現する言葉でした。
ベラの脳が冒険と共に発達し、それが言葉や思考に現れていく様子は、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』に近いものがあります。(原作の文章の変化もそれに近いです)
アルジャーノンに花束を ダニエル・キイス Amazonでみてみる |
それでは、冒険を通じて、ベラが導き出した答えは何だったのか。
それは、船上でのハリー・アストリーとの会話に集約されています。ハリーは純粋なベラにショックを与え、彼女の希望を打ち砕こうとしますが、世界の問題(貧困や格差)に直面したベラは、「それでも世界を変えるための行動はできる」と希望を失いませんでした。
原作ではハリーとの議論がより深掘りされています。ハリーは人間を「清浄無垢」「未熟なオプティミスト(楽観的な人)」「皮肉な冷笑家」の三種類に分類し、彼は冷笑家であると言います。それに対し、ベラは「四番目の方法があるはずで、生きている限りそれを探し続ける」と宣言するのでした。
そして、ベラは自分が医者になることで、お金を寄付すること以上に世界へ貢献することを選択します。彼女は自分を支配しようとする者たちに抵抗し続けました。
ゴッドウィンの死後、彼女は「ゴッド(神)」と呼ぶ自分の創造主である彼の後を継いだのです。ラストシーンでは、屋敷の庭に、マックスとトワネット、フェリシティとメイド、そして羊の脳を移植したアルフィーが同居しています。
そこに身分による格差はなく、彼女は自らが作り上げたユートピアの中で笑みを浮かべました。
神からの自立
『哀れなるものたち』の物語は、『フランケンシュタイン』とよく似た構造です。ベラにとってゴッドウィンは、自分の育ての父親として以上に、彼女の言葉通りに「ゴッド(神)」に近い存在。
『フランケンシュタイン』では、創造主であるフランケンシュタインは、自分の手で作り上げた怪物のおぞましさに恐れて逃げ出し、身も心も傷ついた怪物から復讐を受けます。
『哀れなるものたち』は、ベースはフランケンシュタインの物語ですが、『フランケンシュタイン』が描く人体蘇生という倫理的な問題というよりも、ベラの自由意志を主軸に描いています。
ベラは、自分がゴッドウィンによる実験対象として蘇生されたことを知り、自分の後に同じ実験をフェリシティに行っていることを知り、ゴッドウィンを「モンスター」と言い放ちました。しかし、そこで彼女は創造主であるゴッドウィンに復讐することはせず、結果的に和解するのです。
そんなゴッドウィンもまた、幼い頃から父親から実験対象とされてきたことが描かれています。ベラはゴッドウィンのその経験も理解した上で、彼と同じ医者を受け継ぐことを選びました。
ゴッドウィン(神)の死は、ベラの本当の意味での自立を意味し、ベラが心身共に自らの手中にあるということを伝えています。これは先に上げた『バービー』のラストシーンにとてもよく似た構造でした。
白黒の世界とカラーの変化の意味
(C)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
『哀れなるものたち』は、ランティモス監督による意図した演出のひとつとして、白黒映像とカラー映像が場面によって切り替えられています。
白黒映像は、ベラがまだゴッドウィンの庇護下にある状態で主に使われており、彼女が彼の世界の中で守られていることが映像としても直感的に伝わります。一方で、ベラが蘇生する様子も白黒映像の中で描かれており、ランティモス監督がインスピレーションとして挙げている『フランケンシュタイン』やブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』など、古典的なモンスター作品へのオマージュにもなっています。
EWのインタビューによると、ゴッドウィンの屋敷を作り上げたプロダクションデザイナーは、ランティモス監督が最終的に白黒映像にすると決めたことに驚きながらも、その意図を理解したと明かしています。
まとめ:エマ・ストーンの並外れた演技に脱帽
今回は、ヨルゴス・ランティモス監督の『哀れなるものたち』をご紹介しました。
レイティングR18で、露骨な性描写やグロテスクな解剖シーンもあるため、観る人を選ぶ映画だと思います。一方で、ヨルゴス・ランティモス監督作品の中では、かなり分かりやすく、ユーモア、演技、演出含めて面白い作品でした。
主演のエマ・ストーンの演技は見事としか言えないもので、彼女がベラとして変化していく様子は奇抜な映像や表現以上に、観るものをエンパワーメントするパワフルさがありました。
世界が直面する問題に対して、「楽観」でも「傍観」でも「冷笑」でも「諦め」でもなく、自分ができることを見つけて行動するベラの姿は、困難な時代に立ち向かう希望を映し出しています。