今回ご紹介する映画は『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』です。
『ロブスター』のヨルゴス・ランティモス監督、コリン・ファレル主演によるサイコホラー映画。
本記事では、ネタバレありで『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』を観た感想・考察、あらすじを解説。
終始不気味な雰囲気が最高に気持ち悪い映画です!(褒めてます)
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『聖なる鹿殺し』作品情報・配信・予告・評価
『聖なる鹿殺し』
5段階評価
ストーリー :
キャラクター:
映像・音楽 :
エンタメ度 :
あらすじ
美しい妻と2人の子供に恵まれ、幸せに暮らす心臓外科医・スティーブン。彼は父親を亡くした少年・マーティンを気に掛け、ある日家に招待する。すると、子供たちが突然歩けなくなり、目から血を流すなど、奇妙な出来事が次々と起こり始める…。
作品情報
タイトル | 聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア |
原題 | The Killing of a Sacred Deer |
監督 | ヨルゴス・ランティモス |
脚本 | ヨルゴス・ランティモス エフティミス・フィリップ |
出演 | コリン・ファレル ニコール・キッドマン バリー・コーガン ラフィー・キャシディ サニー・スリッチ |
撮影 | ティミオス・バカタキス |
編集 | ヨルゴス・ランティモス |
製作国 | アイルランド・イギリス |
製作年 | 2017年 |
上映時間 | 121分 |
予告編
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『聖なる鹿殺し』監督・スタッフ
監督:ヨルゴス・ランティモス
名前 | ヨルゴス・ランティモス |
生年月日 | 1973年5月27日 |
出身 | ギリシャ・アテネ |
『聖なる鹿殺し』キャスト・キャラクター解説
キャラクター | 役名/キャスト/役柄 |
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スティーブン(コリン・ファレル) 心臓外科医。 | |
アナ(ニコール・キッドマン) スティーブンの妻。眼科医で自らの医院を改装中。 | |
マーティン(バリー・コーガン) 父親を亡くし、小さい家に母親と暮らしている。 | |
キム(ラフィー・キャシディ) スティーブンとアナの14歳の娘。聖歌隊に所属している。 | |
ボブ(サニー・スリッチ) スティーブンとアナの息子。長髪が気に入っているが、父親に切るよう注意されている。 |
【ネタバレ解説】『聖なる鹿殺し』はどんな話?あらすじとラストまで
(C)2017 EP Sacred Deer Limited, Channel Four Television Corporation, New Sparta Films Limited
物語は、心臓外科医スティーブン・マーフィー(コリン・ファレル)が開胸手術を成功させる場面から始まる。スティーブンは妻のアンナ(ニコール・キッドマン)と2人の子供、キム(ラフィー・キャシディ)とボブ(サニー・スルジック)と共に裕福で幸せな生活を送っていた。
しかし、彼の人生は、父を亡くした16歳の少年マーティン(バリー・キーガン)との奇妙な関係によって徐々に狂い始める。
スティーブンはマーティンを家族に紹介し、彼は特にキムと親しくなっていく。しかし、マーティンの行動は次第に不気味で執拗になり、彼の真の意図が明らかになる。マーティンは自分の父親を手術したスティーブンに死の責任があると主張し、恐ろしい要求を突きつける。
マーティンは、スティーブンが自分の家族の中から一人を選んで殺さなければ、全員が苦しんで死ぬと宣言する。
その後、この呪いが現実となり、ボブは突然歩けなくなり、その後キムも同様の症状に陥る。スティーブンとアンナは子供たちを救うために必死になるが、医学的な解決策は見つけられなかった。スティーブンはマーティンの要求に応じるべきか、それとも別の方法を見つけるべきか、苦悩していく。
アンナがスティーブンの消極的な対処法をたしなめると、彼はマーティンを誘拐し、地下室に監禁して暴行する。しかしマーティンは無反応。子供たちは、父親が誰を殺すかについて議論し、それぞれ父親の機嫌を取ろうとする。一方、スティーブンは学校の校長に、2人の子供どちらが優れているかを尋ねていた。
アンナはマーティンの傷の手当てをし、子供たちを連れて彼に会いに行くが、同情を引くことはできなかった。彼女はスティーブンに、自分ではなく子供たちのどちらかを殺すべきだと言う。ついに絶望したアンナはマーティンを解放する。
やがてボブの目から出血が始まり、スティーブンの決断の時間が迫っていた。映画は、スティーブンが最終的に家族の中から一人を犠牲にするという悲劇的な決断を下す場面でクライマックスを迎える。
スティーブンは家族を拘束し、枕カバーをかぶせてリビングに座らせる。彼はライフルを持って家族の真ん中に立ち、目隠しをして円を描くように回転しながらライフルを乱射する。これを数回繰り返し、最終的に被弾したボブが犠牲となった。すると、この行為によって呪いは解け、キムは回復する。
映画のラストでは、スティーブン一家がダイナーで食事するシーンが映される。そこにマーティンが現れると、家族は一瞥して店を後にする。
『聖なる鹿殺し』のタイトルの意味
(C)2017 EP Sacred Deer Limited, Channel Four Television Corporation, New Sparta Films Limited
『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』のタイトルは、エウリピデスによる古代ギリシャ悲劇『アウリスのイフィゲニア』に由来しています。
とはいえ、原作やベースとしているのではなく、脚本とストーリーを考えたときに類似点があることに気づいたとcineuropaのインタビューで明言しています。
『アウリスのイフィゲニア』の物語は、トロイア戦争を背景にしており、ギリシャ軍の指導者アガメムノンと彼の娘イフィゲニアの悲劇的な運命を描いています。
アガメムノンは誤って女神アルテミスの聖なる鹿を殺してしまい、逆鱗に触れてしまいます。ギリシャ軍はトロイアへ出航準備をしていましたが、アルテミスが風を止めてしまったことで出航できずにいました。
女神の怒りを鎮めるためには、娘イフィゲニアを生贄に捧げなくてはなりませんでした。アガメムノンはイフィゲニアをギリシャ軍の兵士アキレスと結婚させると言って呼び出し、生贄に捧げようとします。
その後、生贄になる運命から逃れられないと知ったイフィゲニアは祭壇に立ちますが、アルテミスが現れて鹿と生贄を入れ替えて彼女は生贄から救われます。
この結末は、写本による解釈であり、エウリピデスの原作通りではないとみなされていて、旧約聖書の『イサクの燔祭(はんさい)』におけるアブラハムとイサクの物語を彷彿とさせます。
『聖なる鹿殺し』の映画においては、心臓外科医スティーブンがマーティンの父を誤って殺し、マーティンはスティーブンの愛する家族からの1人を生贄として選ぶことを要求しました。
『アウリスのイフィゲニア』と照らし合わせると、アガメムノン=スティーブン、アルテミス=マーティン、イフィゲニア=キム&ボブと解釈することもできますが、監督が言及しているように類似点があるだけなので、厳密にはリンクしておらず、映画の結末も神話とは異なっています。
マーティンの力はどうやって行ったのか
(C)2017 EP Sacred Deer Limited, Channel Four Television Corporation, New Sparta Films Limited
マーティンはスティーブンに、家族一人の犠牲を選ばなければ以下の4ステップが家族に起こると予言します。
映画を観ると、マーティンが特に何かを行ったわけではなく、どのようにして家族を病気にさせたのかは描かれません。
『聖なる鹿殺し』は不条理スリラー映画です。先に紹介したように、本作は神話との関連性があります。マーティンは報復を要求する女神のアルテミスと考えると、本作において、彼がどのような力(呪い的な何か)で行ったかという「方法」が重要ではなく、その「理由」とスティーブンの「選択」が描かれています。
映画の中でも特に印象的なシーンにおいて、それはカメラワークでも表現されています。検査を終えて、病院からアナとボブが帰ろうとしたとき、エスカレーターを降りた場所でボブの足が再び麻痺するシーン。
このシーンのカメラワークは、その様子をかなり高い位置の真上から捉えるという「神的な」視点になっています。
マーティンをはじめとした登場人物のセリフに注目すると、感情が抑制され、いわゆる映画的なセリフではないこともわかります。これは本作の好みが分かれる部分でもあり、何か「論理的な答え」を求める場合、全く楽しめる映画ではありません。
ラストとテーマの意味
(C)2017 EP Sacred Deer Limited, Channel Four Television Corporation, New Sparta Films Limited
先も書いたように、『聖なる鹿殺し』は何か明確な答えやメッセージが得られる作品ではありません。ヨルゴス・ランティモス監督の作品の多くは、『ロブスター』や本作に象徴されるような、観客の不安感を煽る描写を通じて、「得体のしれない怖さ」を演出する表現が取り入れられています。以下では、その意図について考えていきます。
The Atlanticのインタビューでは、作品のテーマを以下のように明かしています。
最初に考えたのは、とても若い人(マーティン)が、年上の人がやったことに復讐しようとすることの奇妙さだったと思う。そして、ティーンエイジャーが大人になって成熟した人を恐怖に陥れるという、そういうダイナミズム。また、正義というテーマと、(ファレルの)キャラクターが置かれた状況の曖昧さ。彼は医者で、過失があったのかどうか、そういう曖昧さが、ありえない疑問やジレンマにつながっていく。
監督のこの言葉によって、映画が「権力の逆転」「正義」「曖昧さ」の3つにポイントがあるとわかります。
権力の逆転
まず、権力の逆転について。これは16歳の小さな田舎暮らしのマーティンが、心臓外科医で裕福な暮らしをしているスティーブンを恐怖に陥れていく様子で描かれています。
オープニングシーンに象徴されるように、スティーブンは心臓外科医という、文字通り人の命を操る職業に就いています。彼は美しい妻と2人の子どもたちと何不自由なく生活している様子が描かれます。
そんなスティーブンが、16歳の少年によって家族の命を握られていく、まさに権力の逆転が起きていました。
正義
2つ目は、正義について。これは、映画の中でマーティンが繰り返し言葉にしているセリフでもあります。彼は父親を殺したスティーブン本人に復讐するのではなく、彼が家族の中から一人選んで殺すことを要求しました。これを彼は「正義」だと主張しています。
これは、ハンムラビ法典や旧約聖書にも記載がある「目には目を歯には歯を」の同害報復を想像させます。実際に、映画においても、マーティンはスティーブンの家族全員に復讐するのではなく、失った父親と同じ一人だけを犠牲にすることを要求し、スティーブンがボブを殺した後、娘のキムは病状を回復しています。
曖昧さ
3つ目が、曖昧さについて。映画の中では、スティーブンが本当にマーティンの父親を手術中に殺したどうかは描かれていません。しかしながら、マーティンは手術前にスティーブンが酒を飲んで酔っ払っていたことを明かしており、手術に同席した麻酔科医もそれを認めています。
しかしながら、スティーブンはそれを否定し、麻酔科医もカルテを見せることを拒否します。映画におけるスティーブンは、あらゆることに対して責任逃れの行動を取っているのです。それは、自分の子どもたちどちらを殺すのかを考えるために、学校で娘と息子の成績を確認しにいくという異常さが象徴しています。
最終的に、彼の曖昧さは、目隠し自己流ロシアンルーレットによって家族を乱射するという暴挙にまで至りました。心臓外科医という命を扱う立場にありながら、彼は徹底的に命から逃げている様子が描かれていました。
まとめ:好みがハッキリ分かれる映画
今回は、ヨルゴス・ランティモス監督『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』をご紹介しました。
一見完璧に見える家族の生活が、一人の少年の登場によって徐々に崩壊していく様子を描いたサイコホラー映画。家族の関係、責任、命の選択についてを描き、ランティモス監督の独特のスタイルと、抑制された演技、洗練された映像、不気味な音楽が融合して、観客に強烈な印象を与える作品となっています。
好みがハッキリと分かれる映画ではありますが、終始不気味な空気感と、自分なりの解釈を楽しめる作品になっています。
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