「あってはならない感情なんて、この世にはない。」
今回ご紹介する映画は『正欲』です。
ベストセラーとなった朝井リョウの原作を、稲垣吾郎&新垣結衣主演で映画化。
本記事では、ネタバレありで『正欲』を観た感想・考察、あらすじを解説。
原作の映像化として、見事な映画になっていました!
正欲 朝井リョウ |
映画『正欲』の作品情報・予告
『正欲』
5段階評価
ストーリー :
キャラクター:
映像・音楽 :
エンタメ度 :
あらすじ
息子が不登校になった検事・啓喜。初めての恋に気づく女子大生・八重子。ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。ある人の事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり合う。
作品情報
タイトル | 正欲 |
原作 | 朝井リョウ「正欲」(新潮社) |
監督 | 岸善幸 |
脚本 | 港岳彦 |
出演 | 稲垣吾郎 新垣結衣 磯村勇斗 佐藤寛太 東野絢香 |
撮影 | 夏海光造 |
音楽 | 岩代太郎 主題歌「呼吸のように」Vaundy |
編集 | 岸善幸 |
製作国 | 日本 |
製作年 | 2023年 |
上映時間 | 134分 |
予告編
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配信サイト | 配信状況 |
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『正欲』のキャスト・キャラクター解説
キャラクター | 役名/キャスト/役柄 |
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寺井啓喜(稲垣吾郎) 検事。妻と息子と3人で暮らしている。 | |
桐生夏月(新垣結衣) 地方の商業施設の寝具メーカー勤務。実家で両親と暮らしている。 | |
佐々木佳道(磯村勇斗) 夏月の学生時代の同級生。 | |
神戸八重子(東野絢香) 大学生。学園祭の実行委員を務める。 | |
諸橋大也(佐藤寛太) 大学生。ダンスサークルに所属。 |
【ネタバレ感想】原作の映画化として見事
2007年、エリカ・エッフェルという女性はエッフェル塔に恋をして、実際に法的に結婚しました。特定の無生物に性的あるいは恋愛的に魅力を感じるセクシュアリティは「対物性愛」と呼ばれたりします。
本作『正欲』は、その文字の通り「正しい欲」についての物語。いわゆる「三大欲求」のひとつに分類される性欲ですが、【食欲・睡眠欲・性欲】の中で、ほかの2つと比べて、人と気軽に会話することは極端に少ないと思います。それは、夫婦やパートナー間においても同様です。
一般的に性欲に関する話題が少ない中で、「普通ではない」性欲を抱えた人は、一体どういう感情を抱えて生活しているのでしょう。本作は、マイノリティの中のマイノリティの人物を描き、声高に叫ばれる「多様性」という言葉に対して、一石を投じる作品となっています。
「明日、死にたくない」繋がり
『正欲』は、別々の場所における複数の人物の様子を描いた群像劇です。主な登場人物は5人。
横浜で家族3人と暮らす検事の啓喜、地方のショッピングモールで働く夏月、学園祭の実行委員を務める大学生の八重子、夏月の同級生で田舎に戻って来た佐々木、八重子の同級生でダンスサークル所属の大也。
冒頭、佐々木は世の中の多くの情報が「明日、死にたくない」と感じている人たちに向けられたものであると言います。佐々木のこの表現を使って登場人物を分けてみると、以下のようになります。
そして、夏月、佐々木、大也の3人に共通するのが、水に性的、恋愛的魅力を感じる「特殊性癖」を持っているということ。
3人は一見すると、問題なく社会生活を送れているようにも見えますが、それは自分を詮索されないために、社会の一員となることが最も手っ取り早いからなのです。しかし、社会の一員になるということは、大きな潮流に身を任せるということ。その中で、人から理解されない「特殊性癖」を抱えながら生きているのです。
『正欲』で描かれる大きなテーマが「繋がり」です。
「水を出しっぱなしにするのがうれしかった」と語り、水道の蛇口を盗んだ藤原悟という人間が逮捕されたニュースに対して、啓喜はあり得ないと否定し、夏月の同級生たちは変人だと笑いました。
一方で、水に関するYouTubeのコメント欄に度々出現する「SATORU FUJIWARA」という名前は、同じ悩みを抱える夏月や佐々木にとっては、確かな繋がりになっていたのです。
原作を丁寧に映画化した映画
朝井リョウ氏の原作小説『正欲』は、登場人物が抱える言葉にしない感情がモノローグとしてたくさん登場します。これをそのまま映画化しようものなら、モノローグだらけの説明的で説教臭い映画になっていたことでしょう。
映画を観てみると、派手な演出・モノローグが抑えられていて、俳優たちの作り上げる間や表情を信頼した作りになっています。それによって原作で粒立っていた言葉たちが、印象的に際立っていました。
加えて、演出面でのアイデアも光っています。例えば、新垣結衣さん演じる夏月がベッドに横たわり、部屋が水に満たされたシーン。これは、彼女が水に対する性的興奮を示す意味として印象的であり、同様にプールで佐々木とともに浮かぶ似た場面では、2人が社会という大きな流れの中で漂っている様子を効果的に映し出しています。
夏月と佐々木が滝を見に行くシーンは原作にはない解放的なシーンです。一方、検事の啓喜のシーンは法律や権威を象徴するような閉鎖された空間であることも対象的。映画的で視覚に訴える表現もシンプルながらに効いています。
さらに、本作が「フェチ」を描いた作品であることを痛感させる表現も見事でした。たとえ水に欲情することが理解できなくても、回想シーンで描かれる水道の水で制服が濡れた様子、俳優たちに水しぶきがかかる描写、新垣結衣さんが納豆を食べるシーンに至るまで、意図的にフェティシズムを映像化されているように感じます。
映画『正欲』は、原作の映像化作品として見事な一方で、作品のテーマ上、一本の映画では描ききれない部分もたくさんあります。そのため、映画を観た人にこそ、原作を読んでみてほしいと思うのです。
正欲 朝井リョウ |
【ネタバレ考察】原作小説との違いを比較
つづいて、原作小説と映画版の違いから作品をみていきます。
映画版をみて、原作との違いで気になったところは上記の3つ。詳しく深掘りしていきます。
八重子のトラウマの背景
映画を観て一番もどかしくなったのが、八重子と大也のパートです。特に134分の映画の中では、八重子の内面の描写が少し物足りない(映画だけでは理解しづらい)ように感じました。
映画の中では、八重子が男性恐怖症になったトラウマの背景が具体的に明かされないため、彼女が単なるおせっかいな人間のように感じた人もいると思います。しかし、小説で描かれている彼女の背景を知ると、その印象も少し違います。
八重子には年の離れた兄がおり、彼は成績優秀だったものの、就職して数年で会社を辞めて引きこもりとなってしまいます。それは彼が職場で「ビジネススキルのなさと性経験のなさを結び付けられたこと」が引き金となっていました。
八重子と兄はほとんど会話をしませんが、八重子は高校生のとき、興味本位で兄の部屋に入って彼のパソコンを覗いてしまい、兄が「素人JKの妹」というアダルトビデオを見ていたことを知ります。
それ以降、八重子は兄、ひいては男性から向けられる視線すべてを気持ち悪いものに感じ、男性恐怖症になってしまったのです。その上、彼女は自分の容姿の悪さを自覚していていて、自分が男性の視線を拒否することで自意識過剰と思われることへの悩みも抱えているのです。
八重子と大也の関係性
上記の八重子の背景に繋がるのが、大也に対する勘違いです。兄の一件から男性恐怖症となった八重子ですが、大也に対してだけは嫌悪感を抱きませんでした。
ダンスサークル「スペード」の代表である優芽、そして所属している大也は、それぞれ容姿の良さから他人から好意を寄せられることが多くありました。映画では描かれていませんが、優芽は大也のことが好きであり、それはサークル内での暗黙の了解となっていました。
優芽は自分に振り向かない男性などいないと思っているため、自分の好意に応えない大也について「女性に興味がないのではないか」とサークル内で口にしてしまいます。それが後押しし、サークル内では大也はゲイであると思われてしまっていたのです。
その背景があり、八重子は自分が大也に対して嫌悪感を抱かない理由を、大也がゲイであるからと勘違いしていたのです。
八重子は大也の抱える苦しみを理解できると歩み寄ろうとしますが、大也は的はずれな八重子の勘違いを指摘し、ほっといてくれと突き放します。原作小説における八重子と大也の口論は、映画で描かれた以上に辛辣で鋭利です。
このシーンは、マジョリティとマイノリティの決定的な分断のように思える場面ですが、表面的な多様性という言葉が虚しく響く一方で、八重子との激論を通して、大也の心の中に微かなさざ波が立ったようにも映るのです。
この一連の場面は本当にすごいので、ぜひ原作を読んでほしいです…!
同級生の事故死
夏月と佐々木のパートで描かれていなかった場面で大きいのが、2人が再会するきっかけを作った同級生・西山修の事故死です。原作で西山は、酔った状態で岩から川へジャンプしたことで溺れ、同窓会が開かれる前に死んでしまいました。
映画では、西山の死が描かれないことで、夏月が死のうとする経緯が少し違った形になっています。夏月は、高校時代に自分と同じ「特殊性癖」を持っていると思った佐々木と同窓会で再会したことで、自分との「繋がり」としてみていきます。
しかし、佐々木が「普通」の生活をしてみようと女性と回転寿司で食事している様子を見たことで、彼が自分が思っていた人間ではないことにショックを受け、レンガで彼の家の窓ガラスを割り、その後に自殺しようとしています。
一方、原作では、西山の死後に開かれた同窓会で、2人は高校時代の水道を壊した出来事について話し合い、お互いに同じ「特殊性癖」を持っていることを知ります。しかし、その場では2人は「繋がる」ことはなく、それぞれの日常に戻っていきます。
そしてしばらく経った後、2人はそれぞれの日常に溶け込もうとするも、それによる苦痛に耐えられず、自殺しようとしたときに偶然再会したのです。
この描写に関しても、やはり小説の方が「繋がり」がないことの苦しみをより明確に描いていたと思います。映画では、佐々木の両親が死んだこと、夏月の佐々木への思い違いが際立っている印象があり、「繋がり」がないことの苦しみよりも、繋がりが絶たれることの苦しみに感じられます。
その後、「一緒に手を組み」同棲を始める2人ですが、疑似セックスのシーンは小説でも映画でも特に印象的なシーンです。2人は「普通」の性欲の行き着く先であるセックスを、分からないまま擬似的に行ってみる中、佐々木はある真理にたどり着きます。
──なんか人間って、ずっとセックスの話してるよね。
それはきっと、誰にも本当の正解がわからないからだ。
─中略─
みんな本当は、気づいているのではないだろうか。自分はまともである、正解であると思える唯一の依り所が“多数派でいる”ということの矛盾に。
佐々木は、同級生・西山修の死に際を想像し、まともな側で居続けるためには、分からないことを明かしてならない、その不安と恐怖を理解します。
同様に、夏月も「普通」の人間たちが好きだと話していたセックス相手が覆い被さることを体験し、「人間の重さ」が「この世に自分を繋ぎ止めているように」感じています。
2人の生活が仮初めのものだったとしても、2人はその疑似セックスを通して、確かに「繋がった」のです。
「いなくならないから」
『正欲』の物語は残酷です。水という「特殊性癖」を持つ夏月、佐々木、大也の3人はやっとの思いで同じ性癖を持つ人間と繋がることができましたが、繋がろうとした1人の人間が「小児性愛者」だったことで、佐々木と大也は巻き込まれる形で警察に逮捕されてしまいます。
映画では、啓喜と夏月が町中で接触するシーンが描かれていますが、これは原作にはない場面。啓喜は夏月の指輪とカニクリームコロッケを買った姿から、彼女が「普通の妻」であると感じていました。夏月は自分が世間一般的に見て「家庭を持った妻」であると思われたことに思わず表情を緩めていました。この人からは自分が「普通」に見えているのだと。
そんな2人は事情聴取の場で再会します。啓喜は、夫が児童ポルノ容疑で逮捕されたとは思えない夏月の落ち着いた態度に驚きながら、夏月が佐々木に対し「いなくならないから」と伝えてほしいと言ったことが頭の中に残ります。
ちなみに原作では、この「いなくならないから」という言葉を夏月、佐々木の両方がお互いに対して伝えてほしいと言っていることが明かされます。
映画で啓喜は離婚調停中であることが明かされますが、世間的に最も忌み嫌われる性犯罪の容疑で捕まった夫となぜ一緒にいたいと思えるのか、啓喜には到底理解できません。
「いなくならないから」
この言葉が持つ確かな強さと繋がり。同じ日に死のうとしていた夏月、佐々木の2人は、「明日、死にたくない」と思える世界の中で歩き始めています。
まとめ:多様性に切り込む問題作か傑作か
今回は、映画『正欲』をご紹介しました。
内なる感情の表現が多い原作を映画化するハードルの高さはありましたが、岸善幸監督による見事な演出で見るべき一本として届けています。
監督が指名したという稲垣吾郎さんのキャスティングはまさにハマっていて、正直にいうと、原作を読んだイメージにはなかった新垣結衣さんも、彼女のキャリアの中でも特に印象的な作品となったと思います。そして磯村勇斗さんの安定感。彼は着実に日本映画に欠かせない俳優の1人になっていますね。
朝井リョウ氏の小説は、言葉がナイフのように鋭く、独特の感性で紡ぎ出されるワーディングも魅力なので、ぜひ、映画を観てから小説を読んでみてほしいです。特に、八重子と大也のパートは映画では物足りない部分があるので、読んでほしいところです。
正直、映画を観てから小説を読んだ方が、より面白く感じるのではないかと思っています!
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