今回ご紹介する映画は『TAR/ター』です。
トッド・フィールド監督の16年ぶりとなる新作で、ケイト・ブランシェットを主演に天才的な才能を持った女性指揮者の姿を描いたドラマ。
本記事では、ネタバレありで『TAR/ター』を観た感想・考察、あらすじを解説。
洗練された画作りと音楽、自由度の高い内容とケイト・ブランシェットの圧巻の演技に震えました…!
映画『TAR/ター』の作品情報とおすすめ度
『TAR/ター』
ストーリー | |
感動 | |
面白さ | |
テーマ性 | |
満足度 |
あらすじ
ドイツのベルリン・フィルで女性初の首席指揮者に任命されたリディア・ター。天才的な能力であらゆる名誉を築いてきた彼女だったが、新曲であるマーラーの交響曲第5番の演奏の創作に苦しんでした。そん中、かつて彼女が指導した教え子の訃報が入り、ある疑惑を掛けられた彼女の精神は追い詰められていく。
作品情報
タイトル | TAR/ター |
原題 | Tar |
監督 | トッド・フィールド |
脚本 | トッド・フィールド |
出演 | ケイト・ブランシェット ノエミ・メルラン ニーナ・ホス ソフィー・カウアー アラン・コーデュナー ジュリアン・グローヴァー マーク・ストロング |
製作国 | アメリカ |
製作年 | 2022年 |
上映時間 | 158分 |
予告編
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映画『TAR/ター』のスタッフ・キャスト
監督:トッド・フィールド
名前 | トッド・フィールド |
生年月日 | 1964年2月24日 |
出身 | アメリカ/カリフォルニア州 |
監督作としては3本目、前作から16年ぶりとなる本作。
サンダンス映画祭で絶賛された初監督作である『イン・ザ・ベッドルーム』がアカデミー賞5部門にノミネート、2作目となる『リトル・チルドレン』はアカデミー賞え3部門ノミネートされています。
本作は主演のケイト・ブランシェットに当て書きし、彼女が主演を断ったら映画は出来上がらなかったと語っています。
ケイト・ブランシェット(リディア・ター役)
名前 | ケイト・ブランシェット |
生年月日 | 1969年5月14日 |
出身 | オーストラリア/メルボルン |
女性初のベルリン・フィル首席指揮者に任命されたリディア・ターを演じるのはケイト・ブランシェット。
アカデミー賞でで主演女優賞『ブルージャスミン』(2013)、助演女優賞『アビエイター』(2004)さらに、本作の演技で『アイム・ノット・ゼア』(2007)に続いて2度目となるヴェネチア国際映画祭で女優賞を受賞。
トッド・フィールド監督が彼女に当て書きしたことも深くうなずけるほど、名実ともに本作の主演を演じる説得力のある俳優。
ノエミ・メルラン(フランチェスカ・レンティーニ役)
名前 | ノエミ・メルラン |
生年月日 | 1988年11月27日 |
出身 | フランス/パリ |
リディア・ターのアシスタントで副指揮者を目指すフランチェスカ役はノエミ・メルラン。
カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルムの2冠となり大絶賛されたセリーヌ・シアマ監督の『燃ゆる女の肖像』にてアデル・エネルと共にダブル主演を演じ、国際的に広く知られるようになる。
ニーナ・ホス(シャロン・グッドナウ役)
名前 | ニーナ・ホス |
生年月日 | 1975年7月7日 |
出身 | ドイツ/シュトゥットガルト |
リディア・ターのパートナーであり、オーケストラのコンサートマスターのシャロン役はニーナ・ホス。
2007年『Yella(原題)』でベルリン国際映画祭で女優賞を受賞するなど、ドイツで注目される俳優のひとり。
ソフィー・カウアー(オルガ・メトキナ役)
名前 | ソフィー・カウアー |
生年月日 | 2001年9月 |
出身 | イギリス/ロンドン |
リディア・ターが新たなチェリストとして引き入れるオルガ役はソフィー・カウアー。
本作が映画初出演の彼女は、8歳でチェロを弾き始めてノルウェー国立音楽大学で世界的なチェロ奏者トルレイフ・テデーンに師事。
ロシア人チェリスト役のため、ロシア語をマスターするためにYouTubeを使って学んだそうですが、それが本編でも違った形で活かされています。
ネタバレあり
以下では、映画の結末に関するネタバレに触れています。注意の上、お読みください。
【ネタバレ解説】『TAR/ター』のあらすじ
物語は、スクリーンを埋め尽くすクレジットシーンから始まる。
リディア・ター(ケイト・ブランシェット)が壇上でインタビューを受けている。リディアはアメリカ5大オーケストラで指揮者を務めた後、ドイツ、ベルリン・フィルの首席指揮者に就任。作曲家としても活躍し、EGOTのグランドスラムも達成し、その輝かしい経歴が語られる。
リディアはレナード・バーンスタインに師事し、彼も愛したグスタフ・マーラーの交響曲第5番のライブ録音コンサートを来月に控え、合わせて自伝「TAR ON TAR」も出版される。会場にはリディアのアシスタントで副指揮者を目指すフランチェスカ(ノエミ・メルラン)の姿もあり、リディアのスケジュール管理や鞄持ちをしている。
学生を論破
(C)2022 FOCUS FEATURES LLC.
リディアは若手女性指揮者向けの教育と機会を提供するプログラム「アコーディオン財団」を設立し、自身も名門ジュリアード音楽院で教鞭をとっている。プログラムを支援する投資家であり、アマチュア指揮者の活動もしているエリオット・カプラン(マーク・ストロング)と定期的に打ち合わせをするが、彼は現・副指揮者のセバスチャン(アラン・コーデュナー)の代わりになろうと売り込み中でもある。
リディアはジュリアード音楽院で授業を行う。指揮科の有色人種の男子生徒マックスは、白人で女性差別的であることを理由にバッハの音楽を好まないと言う。それに対してリディアは、多様な音楽史を例に挙げ、芸術と私生活を分離して考えさせようと徹底的に論破する。クラス生徒達の前で屈辱的な仕打ちを受けたマックスは、リディアに暴言を吐いて教室を後にする。
思わぬ知らせ
リディアはかつての教え子である若手女性指揮者のクリスタからメールが届いているとフランチェスカから言われるが、無視するように伝える。その後、クリスタから本が送り届けられると、その本を見たリディアは処分する。
リディアはパートナーでオーケストラのコンサートマスターのヴァイオリン奏者であるシャロン(ニーナ・ホス)と、養女のペトラ(ミラ・ボゴジェヴィッチ)と一緒に暮らしている。ペトラが学校でケガをして帰ってきたことをシャロンから告げられると、後日リディアはペトラを学校に送り届けた際に、いじめっ子に対して「次やったら報復する」と脅しかける。それ以降ペトラはいじめられることはなかった。
あらゆる名誉と地位を獲得したリディアだったが、新曲作りに没頭するも、その難しさに直面していた。彼女はいつしか不眠となり、音に対して敏感に反応する。
そんな中、リディアはクリスタが自殺したことをフランチェスカから知らされる。巻き込まれることを恐れ、彼女とのメールのやり取りをすべて消去し、フランチェスカに対してもそれを指示する。メールの文面には、クリスタの精神的問題を理由に、リディアが彼女のキャリアを妨害する内容が記されていた。
極私的な選別
(C)2022 FOCUS FEATURES LLC.
交響曲第5番のリハーサルが始まるが、中々思うようには進まない。リディアは思い切って、副指揮者であるセバスチャンを交代させる意向を本人に伝えると、セバスチャンはリディアがフランチェスカと関係を持ち、彼女を後任にするため優遇していると非難する。しかし、リディアは心外だと言って否定し、結果的にセバスチャンは交代させられる。
一方、フランチェスカはリディアの指示に背き、メールを削除していなかった。
そんな中、リディアは代わりとなるチェリストを引き入れるオーディションを開催し、若くて才能のある女性チェロ奏者オルガ(ソフィー・カウアー)を引き入れる。さらに、未決定だったコンサートのもう1曲をチェロ協奏曲にし、ソロ奏者を第一奏者ではなくオーディションで選出すると決めてしまう。そしてその結果、オルガがソロ奏者に選ばれる。
怪我
リディアの不眠はさらに悪化し、メトロノームの音で起こされたり、ランニング中に悲鳴を聞いたり、原因不明な音まで聞こえるようになっていた。クリスタの自殺が公になると、財団から弁護士に連絡するように伝えられる。リディアは弁護士から宣誓証言が必要だと告げられる。
リディアはソロ奏者となったオルガと2人で練習をした後、友人と暮らしているアパートへ彼女を送り届ける。リディアはオルガが車にぬいぐるみを忘れたことに気づき、届けようと後を追う。しかし彼女は見つからず、地下の不穏な場所に迷い込んでしまう。そこで何者かの足音や野犬の姿を目撃し、怯えて走り出したリディアは、階段で転んで顔面に怪我を負う。
その後、リディアはリハーサルに傷だらけの顔で姿を現すが、楽団員たちには「男に襲われた」と嘘をつくのだった。
転落の始まり
セバスチャンとの一件もあり、リディアはフランチェスカを後任の副指揮者に選出しないことを伝える。すると彼女は後日、何も告げずにアシスタントを辞めて音信不通となる。
ストレスが蓄積される中、リディアは隣人に呼び出される。隣の部屋に導かれると、荒れた部屋で病弱な母親が倒れている姿を目撃し、彼女を車椅子に乗せる手伝いをする。リディアが隣の部屋から聞こえていた音は介護用の医療機器の音だった。
その後、リディアは宣誓証言と本の出版宣伝イベントのためにオルガを連れてニューヨークへ向かう。その頃、SNSではリディアがジュリアード音楽院で行った授業風景を意図的に編集した動画が拡散され、ニューヨーク・ポストではクリスタ自殺にリディアが関与する旨の記事が掲載される。
リディアは一緒に連れてきたオルガからも避けられ、パートナーのシャロンには相談しなかったことを責められる。宣誓証言の席では、フランチェスカがリディアとクリスタの間のメールを原告側に送ったことで、それが決定的となり、リディアはベルリン・フィルの指揮者を解任される。
崩壊
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シャロンはリディアとの関係を断ち、リディアが学校で娘のペトラと会うことも禁じる。リディアはすでに冷静さを失っていた。その後、アパートの隣人の母親が死去し、介護していた娘もいなくなり、大家である親戚が部屋を売ろうと、リディアの部屋からの音漏れについて訪ねてくる。それに対してリディアは、隣人を罵倒しながらアコーディオンを大音量で狂ったように演奏する。
リディアはすでに指揮者を解任されていたが、マーラー交響曲第5番のライブ録音の会場に忍び込むと、自分の代役となったエリオットが指揮する演奏中に飛び込み、暴力をふるって指揮台から叩き降ろす。リディアは取り押さえられ、彼女のマネジメントチームから身を隠してゼロからやり直すようにアドバイスされる。
東南アジアにて
リディアは幼少期に住んでいた実家に帰る。自分の部屋の押入れから師であるレナード・バーンスタインが指揮するビデオテープを観て涙を流す。
実家には兄であるトニーが暮らしていた。彼はリディアを本名のリンダと呼び、彼女が自分のルーツを忘れかけていることを指摘する。
しばらくして、リディアは東南アジアで仕事を見つけていた。ある時、体の疲れを取るためにホテルマンにマッサージの手配を依頼すると、連れて行かれた場所には、「金魚鉢」と言われるガラスのショーケースに少女たちがいる売春宿であることに気づき、たまらず嘔吐してしまう。
リディアは新しいオーケストラで指揮者となり、コンサートの舞台に立つ。そのコンサートはキャラクターのコスプレをする観客を前に「モンスターハンター」シリーズの楽譜を演奏するコンサートだった。
【ネタバレ感想・考察】キャンセルカルチャーと権力システム
(C)2022 FOCUS FEATURES LLC.
トッド・フィールド監督の16年ぶりの3本目となる監督作。非常に洗練された画作りと、扱うテーマを映画という芸術に落とし込む見事な手腕に驚かされる映画でした。そしてケイト・ブランシェットの圧巻の演技。
賛否両論が分かれやすい映画とは思いますが、すごい映画でした…!
まず、大前提として本作は何か明確な答えを提示する映画ではありません。
とても自由度の高い映画であり、観客がそれぞれ思い思いの切り口で考えることができる物語になっています。
それは、キャンセルカルチャーやSNSによるフェイク動画の拡散、コロナ禍と芸術、音楽業界のピラミッド構造や男性優位な権力関係など。
そのあらゆるテーマを内包しつつ、音楽映画を飛び越えたスリリング展開など、多様なジャンルを軽やかに横断して描き、インスタLIVEやTwitter、Wikipedia、Google検索やYouTubeに至るまで、現代要素を物語に効果的に取り入れる妙も見事でした。
間口は広いのに先端は尖りまくっているんですよね…!
キャンセルカルチャーとシステムとしての権力
冒頭シーンでは聞き取れないほどのリディア・ターの輝かしき経歴が紹介され、彼女がいかにすごい人物であるかが示されます。そんな彼女にとって、マーラーの交響曲第5番のライブ録音は、彼女が築き上げた人生の集大成と言えるイベントでした。
本作の内容を簡単に言えば、リディア・ターという絶対的な地位と権力を持つ主人公が失墜する様子を描いています。本編のほぼすべてのシーンでリディア=ケイト・ブランシェットの姿が映されているように、158分という長尺を費やして一人の人間の姿を描いているのです。
#MeTooムーブメントに象徴されるように、権力者がキャンセルされるという構造で言えば『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』や『スキャンダル』など、強大な権力者の悪行を暴く被害者からの目線で描く物語は近年でもありますが、本作が特徴的なのが、その権力を行使しているのがリディア・ターという特異なキャラクターであること。
リディアは女性初のベルリン・フィルの首席指揮者であり、クィア、レズビアン、パートナーのシャロンとの間には養女を迎えています。
つまり権力を乱用するのがジェンダーやマイノリティに関係なく、権力構造のシステムそのものに対する腐敗を描いているのです。そしてそのリディアをケイト・ブランシェットが演じるという妙。監督が彼女に当て書きした物語でもある本作は、ケイト・ブランシェット以外のキャストでは成立しませんでした。
その上で、女性であるリディアが男性的に描かれていることも印象的。満足げな表情でスーツを仕立て、ジェケットに袖を通し、娘ペトラのいじめっ子には「ペトラの父親だ」と言って脅していました。
エンドクレジットを冒頭で映したことについて、監督は「権力というヒエラルキーを描く本作で、視聴者の期待値を調整した」と言っています。(Los Angeles Timesのインタビューより)
エゴと芸術
劇中、リディアは芸術への理解が足りない人を「ロボット」と表現していました。前半の男子学生マックスを論破するときも、彼の主張を「SNSに影響されたロボット」と言い放ち、指揮者ならエゴやアイデンティティを昇華させ、自分自身を消し去れと言いました。
リディア・ターという人物は、まさにエゴの象徴でもあります。彼女は指揮者としての役割を超えて、すべてを自分のコントロール下に置きたい様子が伺えます。手を時計の長針と短針に例え、「指揮者は時間をコントロールする」と冒頭のインタビューで語っています。
そんな彼女にとって、堪えられないストレスになっていくのが、コントロール出来ない音。それは夜中に聞こえるメトロノームや隣人の医療器具の音、楽団員の私語や電気自動車の微かな振動音を始めとして、次第に音の発生源は、現実なのか狂気か、その境界は曖昧になっていきます。
【ネタバレ考察】転調する世界とラストシーンの意味
(C)2022 FOCUS FEATURES LLC.
自由度の高い本作は、ある場面からリディアの精神世界だったのではないかという考察もできます。映画が大きく転調するのが、リディアがオルガをアパートへ送り届けた後のシーン。
映像的にも明確に分断するようなカットになっています。車に乗るリディア越しにオルガがアパートの奥へ向かう姿が描かれた後、彼女が忘れたぬいぐるみを、リディアが助手席から取ると2人の間を車が横切り、今度はアパート側からリディアの車を映すカットになっています。
視覚的にも世界が切り替わったようであり、時間の超越を感じる描写で、この後、不気味な地下のシークエンスになっています。つまり、このシーン以降はリディアの精神世界と考えることもできるのです。後に解説するリディアが大学で取り組んでいた民俗学研究の観点からも想像できます。
考えてみれば、ライブ録音の会場でトランペット奏者が導入のファンファーレを演奏している隣にリディアがいることも不自然です。
ほかにも、突然マーラー第5番のスコアが消えてしまったり、リディアの顔面の怪我が顔半分だけだったり、激しく損傷していたにもかかわらず、ライブ録音シーンでは傷が完治していたり。
映像表現としても、リディアが鏡を通して映されるシーンが多かったり、窓枠や扉枠、迷路など多層的な描写を意図的に取り入れていることも挙げられます。そして極めつけは、クリスタの亡霊でしょう。
幽霊とラストシーン
キャンセルカルチャーの文脈で観ることができる本作ですが、それ以上にリディアという一人の人間を描いた物語だったように思います。
エンドロールから始まる本作でしたが、まさか最後が「モンスターハンター」で終わるとは誰が予想できたでしょうか。
ニューヨーカー誌のインタビューから始まり、クラシックを重んじてコンクリート打ちっぱなしの洗練された邸宅で暮らし、ベルリン・フィルでマーラーの第5番を指揮するはずが、東南アジアの多湿な環境の小さな会場でゲームの音楽コンサートの指揮で終わるラスト。
それは彼女の転落人生を象徴するような対比になっているものの、それが私には決して悪いようには思えないのです。そして、だからこそ不快で不気味な余韻が残るのです。
物語上の落差を描くためにリディアの再出発の場として東南アジアが描かれたり、ゲーム音楽に行き着くところも、いろんな議論があるとはいえ、思い切った演出。一方で、コスプレして食い入るように見つめるファンの姿はクラシックを鑑賞する観客以上に熱狂的とも言えます。(そこに上下を決定付けない描き方もニクい…)
映画の中には自殺したクリスタと思われる赤毛の女性の幽霊が繰り返し登場しています。それは冒頭のインタビューシーンに始まり、リディアの背後や暗闇の中にも姿を確認できます。
クリスタの自殺が明らかになる同じ頃から、彼女が原因不明の音に悩まされるようになっていました。
本作では、リディアがかけられる容疑、つまりクリスタへの性的搾取が真実だったかどうかは描かれません。そのため、それに対してリディアは反省する様子なども描かれることはありません。
考えるに、彼女は自分が唯一達成していないマーラー交響曲第5番と、自殺したクリスタに取り憑かれていたのだと思います。東南アジアでマッサージ店として紹介された売春宿で「番号を選ぶだけ」と言われてリディアに視線をやるのは5番の札が付けられた少女でした。(ラストシーンの「モンハン」の主人公が所属しているのも第5期団です)
結果的に彼女は「キャンセル」され、失墜しましたが、決して彼女が権力を手放したようにも思えないのです。なぜならリディアは最後まで指揮棒を手放していないのだから。
TAR
TAR(ター)というリディアの名前がそのまま映画タイトルになった本作ですが、名前もとても重要なポイントでした。
リディアはクリスタ(Krista)をアナグラムで、「at risk(危険)」と書き、一方でフランチェスカはTARの自伝をアナグラムにして揶揄するように「RAT(ネズミ=卑劣さを意味する)」と書いていたことが分かります。
終盤に差し掛かると、彼女の本名はリンダであると明かされ、彼女の子ども部屋を凝視すると「TAR」のスペルも本名は「TARR」であることが確認できます。彼女は公的な立場として自分の名前を変えているのです。
それは、彼女がマックスを論破した時に言っていたアイデンティティの昇華であり、自分自身を消し去ることにも繋がります。それが指揮者なんだと。そしてアナグラムで名前を変換すると彼女の名前は「ART(芸術)」になるのです。
芸術への敬意と築き上げた実績の自信、彼女は決して指揮棒を置くことはないでしょう。ステージの中心で指揮を振るリディアの姿が美しく見えてしまうのも否定できないのです。
文化的背景と・・・
上記の『TAR/ター』のUS版予告編を観ると、本編にない多くの場面があることがわかります。
ぜひともトッド・フィールド監督にはディレクターズカット版を出して欲しいですね!
冒頭のインタビューシーンでは、リディアがハーバード大学の大学院でアマゾンの音楽民族学の研究をし、ペルーのウカヤリ川流域に暮らすシピボ=コニボ族を取り上げたと語っています。
映画の中で、リディアがクリスタから送られた本の中に迷路のような模様が描かれたページがありました。同様の文様はリディアの部屋に飾られていた写真にも描かれています。
これは、シピボ族の女性によって作られた「Kené(クヌー)」と言われる幾何学模様のデザイン。布地や陶器、木材や人の体にまで描かれ、「クヌー」の文様は精神世界を現すとされています。シピボ族の文化的背景にはシャーマニズム(霊魂などを重んじ交流する文化)があるのです。
さらに、シピボ族には「アヤワスカ」と呼ばれる幻覚剤をシャーマンの儀式や精神世界へ誘うために用いることも挙げられます。リディアがこれを摂取しているようなカットもありました。
シピボ族とシャーマニズムに関しては、フランスのドキュメンタリー映画『D'autres mondes』(別の世界という意味)や、NHKスペシャル『驚異の小宇宙 人体II 脳と心』においても描かれています。(Nスペではアヤワスカを使用して精神世界のアートを表現する人も登場していました。)
リディアがシャーマニズム文化への理解や民俗学を深く理解していたことを考えると、リディアの精神世界が描かれていたという考察は説得力を帯びてくるものになってきます。
まとめ:ケイト・ブランシェットだから成立した物語
今回は、トッド・フィールド監督、ケイト・ブランシェット主演の『TAR/ター』をご紹介しました。
映画監督という権力構造のトップにありながら、観客の感想をコントロールしない描き方も見事としか言えません。「映画がポリコレでつまらなくなる」と言われたりする世の中ですが、正しさを描く物語のその先の姿を見せ、映画というARTの深淵を覗いたような、不思議な感覚になった映画でした。
とはいえ、スタンスを取らずに議論を投げかける構造によって、権力者の性的搾取や若くて有望な才能をハンティングするモンスターのような主人公への嫌悪感と不快さと、それをケイト・ブランシェットが説得力をもって演じることによる一種の神々しさがなんとも言えない余韻を残します。
この記事もあくまでひとつの解釈。いろんな意見があって面白い映画です!ぜひ劇場でご覧ください!
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