今回ご紹介する映画は『砕け散るところを見せてあげる』です。
竹宮ゆゆこによる原作小説を『弾丸ランナー』『うさぎドロップ』のSABU監督が映画化。
本記事では、ネタバレありで『砕け散るところを見せてあげる』を観た感想・考察、あらすじを解説。
クセの強めな映画かも知れませんが、観て損のない映画です!
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『砕け散るところを見せてあげる』作品情報・配信・予告・評価
『砕け散るところを見せてあげる』
5段階評価
ストーリー :
キャラクター:
映像・音楽 :
エンタメ度 :
あらすじ
平凡な日々を送る濱田清澄はある日、学年一の嫌われ者と呼ばれる孤独な少女・蔵本玻璃に出会う。玻璃は救いの手を差し伸べてくれる清澄に徐々に心を開くようになるが、彼女には誰にも言えない秘密があった…。
作品情報
タイトル | 砕け散るところを見せてあげる |
原作 | 竹宮ゆゆこ |
監督 | SABU |
脚本 | SABU |
出演 | 中川大志 石井杏奈 井之脇海 清原果耶 松井愛莉 北村匠海 矢田亜希子 原田知世 堤真一 |
音楽 | 松本淳一 |
撮影 | 江崎朋生 |
編集 | SABU |
製作国 | 日本 |
製作年 | 2021年 |
上映時間 | 127分 |
予告編
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『砕け散るところを見せてあげる』の監督・スタッフ・原作
監督:SABU
名前 | SABU |
生年月日 | 1964年11月18日 |
出身 | 日本・和歌山県 |
監督はSABU。1986年に森田芳光監督『そろばんずく』で俳優デビューし、1996年に映画監督デビュー。多数の映画を監督し、海外映画祭への出品も多数あります。
原作:竹宮ゆゆこ
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原作は竹宮ゆゆこによる同名小説。アニメ化されて人気を博した『とらドラ!』や『ゴールデンタイム』などで知られています。
『砕け散るところを見せてあげる』キャスト
キャスト | 役名 |
---|---|
中川大志 | 濱田清澄 |
石井杏奈 | 蔵本玻璃 |
井之脇海 | 田丸玄悟 |
清原果耶 | 尾崎の妹 |
松井愛莉 | 尾崎 |
矢田亜希子 | 清澄の母 |
木野花 | クリーニング屋のおばちゃん |
北村匠海 | ??? |
原田知世 | ??? |
堤真一 | 玻璃の父 |
主人公、清澄を演じたのは中川大志。テレビドラマ「家政婦のミタ」で注目を浴びて、その後はティーン映画などに出演していた彼ですが、本作の撮影当時は20歳だったそうで、キャリアの転機となる力強い演技を見せてくれました。
もうひとりの主演には、石井杏奈。元E-girlsのメンバーで、女優としても多くのドラマや映画に出演しています。本作の石井杏奈さんはキャスティングも演技も素晴らしいものでした。
その他にも、SABU監督の映画の常連である堤真一や、大注目されている清原果耶、北村匠海、矢田亜希子や原田知世など、豪華な顔ぶれとなっています。
ネタバレあり
以下では、映画の結末に関するネタバレに触れています。注意の上、お読みください。
【ネタバレ感想】原作に忠実な映画
© 2020 映画『砕け散るところを見せてあげる』製作委員会
本作、内容についてまったく知らない状態で映画を観たのですが、素直に楽しめました。映画を観てから原作を読んだ私の視点で、本作の感想を書いていきます。
原作に非常に忠実に作られた映画
まず、原作を読んで一番驚いたのが、映画が原作にとても忠実に描いていること。正直に言うと、映画を見たときは、前半の長さと後半の急展開のバランスがあまりにも不自然な印象を感じていたんですよね。
具体的なところをあげると、トイレでの一部始終や学校でのやり取りなどのシーンの長さ。映画ではあまり観ないレベルでの長いやり取りが気になった方も多いと思います。
ただ、原作を読んでみると、セリフや大まかな流れなどはほとんど原作通りなんですよね。映像化する上で、あまりにも原作をなぞる描き方に少しビックリしました。
ある意味、かなり強気な手法とも言えます!
重いテーマと重くなりすぎない空気
本作の特徴的なところのひとつに、ユーモアとシリアスさのバランスが挙げられます。
イジメや虐待というハードなテーマを扱う本作ですが、暗くなりすぎてしまいそうところで、絶妙な笑いを入れることでバランスを取っているんですよね。
恐らくこのユーモアがなければ、ただ暗く間延びしたシーンの印象が強まっていたと思います。
それと同時に、そのユーモアが清澄や玻璃のキャラクターに人間らしさを感じて愛着を持てる部分にもなっているのも良いポイントでした。
2人の間の他愛のないやり取りは、直面している現実を忘れてしまうほどの空気感なんですよね…!
この絶妙なバランスが物語全体に行き渡っているので、好き嫌いがあるのかもしれません。
© 2020 映画『砕け散るところを見せてあげる』製作委員会
原作を読んでから映画を観るという方は多いと思いますが、私のように、映画を観てから原作を読んでみると、映画のシーンの意図が後から見えてきて面白かったです。
というのも、映画だけだと何気なく感じていたやり取りも、原作の行間やモノローグを通して、登場人物がどんな心情でやり取りしていたのかがよく理解できるのです。
例えば、玻璃の虐待が分かったシーンでなぜ警察に行かなかったのか。恐らく映画だけを観ていると、疑問に感じた方も多いのではないでしょうか。
これには2つの理由がありました。
- 携帯やスマホが普通ではない時代だから
- 玻璃の父親を決定的に追い詰める裏付けが必要だと考えたから
携帯やスマホが普通ではない時代だから
時代感覚については、原作で追える仕組みになっています。原作では、清澄の息子の話で登場するのが下記の書籍。
- 2012年『置かれた場所で咲きなさい』
- 2013年『嫌われる勇気』
- 2013年『人生がときめく片づけの魔法』
一方で、清澄の話になってから登場するのが次の一節。
ノストラダムスが教えてくれた世界の終わりまで、まだまだ時間がある。
「ノストラダムスの大予言」は1999年のことですよね。つまり、清澄が高校3年生の時点で1999年より前の話だと分かります。
1997年に「J-PHONE」が誕生し、ドコモがメールサービスを開始したのがこの時期。この時期に田舎の高校生が携帯電話を持っているとは考えにくいですよね。
玻璃の父親を決定的に追い詰める裏付けが必要だと考えたから
怪我を負った玻璃が「お父さんにやられた」と警察に駆け込めば、玻璃の父親は逮捕されるだろう。でも、それじゃだめなのだ。
清澄は、玻璃の父親が虐待で逮捕されたとしても、それは一時的なものであり、UFOを撃ち落とすことにはならないと考えていたのです。
この辺り、映画だと理解しづらいのですが、原作を読むことで把握することができます。
本作の魅力
また、原作では読者をミスリードさせて最後にタネを明かすような、いわゆる「叙述トリック」が使われていて、あえてわかりづらい構成になっています。
映画ではその部分がないので、整理されて分かりやすくなっています。
もちろん、原作のそのようなギミックの面白さもあるのですが、本作の面白さは、トリック以上に心を掴まれるストーリー性に魅力があると感じます。
本作は「ヒーローと愛の物語」でした。
ヒーローになりたかった少年の「愛」の物語
© 2020 映画『砕け散るところを見せてあげる』製作委員会
原作における「叙述トリック」によって分かるのは、清澄が「父親に憧れてヒーローになりたかった」のではなく、元来持ち合わせていたヒーロー性によるものだったこと。
まさしく、真のヒーローですよね!シン・ヒーロー清澄!
そんなヒーロー、清澄が玻璃に出会い、互いに惹かれ合っていく。原作のラスト一節は、こんな言葉で締めくくられます。
母さんがいて、俺がいて、父さんがいる。そしてみんな、愛には終わりがないことを信じている。
「誰かのためになにかをしてあげたい」とヒーローに憧れた清澄の行動が、玻璃を救い、救われ、そしてその意思は息子へと伝承していく。
尾崎姉妹や親友の田丸にも波及していったように、誰かを想う「愛」には終わりがないことを映していました。
【ネタバレ考察】 砕け散ったのは何が?誰が見せた?
© 2020 映画『砕け散るところを見せてあげる』製作委員会
さて、ここからは『砕け散るところを見せてあげる』のタイトルについて考えてみます。『砕け散るところを見せてあげる』というインパクトのあるタイトルですが、一体どんな意味があったのでしょうか。
私は「UFOが砕け散る」「愛情の概念が砕け散る」という2つ点で考えてみました。
UFOが砕け散る
ひとつには、UFOが砕け散ったという意味があったと考えられます。ところで、UFOとは何だったのでしょうか。
- 玻璃の父親
- 罪悪感や心のわだかまり(=玻璃)
UFOの一つ目は、玻璃の父親。これは、映画や原作をみても明確に理解できるところで、玻璃を苦しめてきた父親の存在こそがUFOだったのでした。
実際に、玻璃は自らの手で父親を殺し、UFOは撃ち落とされました。
UFOが表すもう一つの意味は、罪悪感や心のわだかまり。
劇中には2つのUFOが登場し、一つ目のUFOが撃ち落とされた(玻璃が父親を殺した)と同時に清澄の前に現れ、それは玻璃にも見えていたのでした。
2つ目のUFOは玻璃を燃料に空に浮いているようで、清澄と玻璃が再び出会って結婚してもまだ空に浮かんだままでした。
そんな2つ目のUFOが撃ち落とされたのは、清澄が玻璃の出産を前にして、川に沈んだワゴン車から人々を助け出して死んでしまったときでした。
清澄はそのワゴン車に取り残された少女に対してかつての玻璃の姿を重ねていました。あの日、玻璃を助けるはずが、玻璃に助けられ、守れなかった。
その後悔を胸に抱えたまま、清澄は新しく名前も変わった玻璃との新しい生活を始めてしまっていたのです。
死んだ玻璃のことは無意味の只中に沈めてしまっていた。玻璃は今もそこにいるんだろう。俺たちの空に、一人で寂しく浮かんでいるんだろう。
つまり、2つ目のUFOは、あの日に置き去りにしてしまった玻璃(に対する罪悪感)だったのです。
UFOがなくなったからこそ、息子(真っ赤な嵐)にも本当の名前が玻璃であることをちゃんと伝えられたのだと思います。
2人の愛によってUFOが砕け散ったんですよね!
愛の概念が砕け散る
© 2020 映画『砕け散るところを見せてあげる』製作委員会
砕け散るというタイトルが意味するの2つ目は、「愛の概念」だと考えます。
物語のラスト、清澄が川で人命救助をしてUFOを撃ち落とすことになるシーンでこんな言葉があります。
そうして俺は、玻璃が目にするすべてのものになる。カーテンにもなる。本にもなる。壁の傷にも、コーヒー豆にも、歩道橋にも、袋麺にも。太陽にも月にも、目には見えなくとも確かに在る遠い星々にもなる。そうして玻璃を、愛し続ける。永遠に愛し続ける。
また、本作のサブタイトルには英語でこんな言葉が書かれています。
The ashes of my flesh and blood is the vast flowing galaxy
直訳すると『骨の私の血と肉は億千万の流れる銀河』という意味です。これは、原作者の竹宮ゆゆこさんが、本作のタイトルを決める際に作品世界を物語る言葉を並べたもの。
清澄と玻璃がそれぞれUFOを撃ち落としたこと。それは互いを愛するがための行動でした。
愛は最小単位の物質として、肉体や時代、場所を超えて届くのだと清澄が証明したのではないでしょうか。
死んで肉体が消えた程度のことでは、父さんと母さんのラブラブっぷりは揺るぎもしない。母さんは今でも父さんが大好きなのだ。父さんと「家族」という形で確かに人生が繋がっていることを、本当に幸せに思っているのだ。
愛は、たとえ肉体が砕け散って消えてしまっても、この宇宙・銀河のあらゆるものの一部となり、愛しい人を見守り続けるのだと。
まとめ:愛には終わりがない
今回は、SABU監督の『砕け散るところを見せてあげる』をご紹介しました。
ボーイ・ミーツ・ガールの苦い青春モノのように見えて、誰かのためになりたいという気持ちが壮大な愛の物語へと収束していく様子に心を奪われました。
苦しむ人が目の前にいたら助けずにはいられなかった清澄は、まさしく、本物のヒーローだったと思います。
物質を超えた愛の概念は『インターステラー』のストーリーに通じる部分もありました。
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