怪物

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映画レビュー

【ネタバレ】映画『怪物』考察・感想|アイデンティティと自己受容

今回ご紹介する映画は『怪物』です。

監督:是枝裕和×脚本:坂元裕二×音楽:坂本龍一で描く、ヒューマンドラマ。

本記事では、ネタバレありで『怪物』を観た感想・考察、あらすじを解説。

まめもやし

公開前から何かと話題が尽きない作品ですが、素晴らしい完成度の映画でした!

カンヌ国際映画祭では【クィア・パルム賞】を受賞。

注意

『怪物』には、学校でのイジメのシーンや、LGBTQ当事者が過去の経験を想起させる描写、家庭内暴力を想像させる表現が含まれています。鑑賞前の方はご注意ください。

映画『怪物』作品情報・予告・配信・評価

『怪物』

怪物

5段階評価

ストーリー :
キャラクター:
映像・音楽 :
エンタメ度 :

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あらすじ

大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子供たち。それは、よくある子供同士のケンカに見えた。しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、大事になっていく。そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した──。

作品情報

タイトル怪物
監督是枝裕和
脚本坂元裕二
出演安藤サクラ
永山瑛太
黒川想矢
柊木陽太
高畑充希
角田晃広
中村獅童
田中裕子
音楽坂本龍一
撮影近藤龍人
製作国日本
製作年2023年
上映時間126分

予告編

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おすすめポイント

怪物は誰か。

是枝裕和監督&坂元裕二脚本、学校で起きた体罰問題を機に大きな事態へと発展していく様子を描いたドラマ。

小学校で起きた体罰問題を、登場人物それぞれの視点で描く物語。「怪物探し」と事件の顛末の先に訪れるラストに、観た人に何を問いかけるのか。

俳優たちの見事な演技、抜群なロケーションや演出など、非常に完成度の高い映画です。

カンヌ国際映画祭では【クィア・パルム賞】を受賞。

まめもやし
辛い場面もありますが、見ごたえのある観て損のない映画です。

映画『怪物』のスタッフ・キャスト

監督:是枝裕和

是枝裕和
Georges Biard, CC BY-SA 3.0
名前是枝 裕和(これえだ ひろかず)
生年月日1962年6月6日
出身日本・東京都

主な監督作

  • 『誰も知らない』(2004)
  • 『そして父になる』(2013)
  • 『海街diary』(2015)
  • 『海よりもまだ深く』(2016)
  • 『三度目の殺人』(2017)
  • 『万引き家族』(2018)
  • 『ベイビー・ブローカー』(2022)
  • 『怪物』(2023)

監督は、国内外で活躍する是枝裕和監督。

2018年の『万引き家族』でカンヌ国際映画祭で最高賞となるパルム・ドールを受賞したことも記憶に新しいですが、その後、フランスと合作の『真実』や、韓国製作での『ベイビー・ブローカー』など、活動の幅をさらに広げています。本作は5年ぶりの日本での長編映画となります。

自身の脚本ではない映画を撮ることは、長編デビュー作『幻の光』以来となり、かねてからリスペクトし合う関係の坂元裕二とタッグを組んでいます。

撮影現場の空気感で脚本を臨機応変に変えることも是枝監督ですが、今回は坂元裕二さんの脚本にほとんど差し込みがなかったと話しています。

脚本:坂元裕二

名前坂元 裕二(さかもと ゆうじ)
生年月日1967年5月12日
出身日本・大阪府

主な脚本作

脚本を手掛けたのは、これまで数々の大ヒットドラマや映画の脚本を手掛けてきた坂元裕二さん。

これまでも自身の体験ベースに脚本を書いたことも多かったと語るか坂元さん。“視えていない”視点を出発に、自身の幼少期の経験から着想を得たとのこと。

本作の企画の発端は、プロデューサーとマーティン・マクドナー監督『スリー・ビルボード』の話題で盛り上がり、あのレベルの脚本が書けるかを聞かれたことが始まりだったそうです。

安藤サクラ(麦野早織:湊の母、シングルマザー)

『怪物』安藤サクラ
(C)2023「怪物」製作委員会
名前安藤サクラ
生年月日1986年2月18日
出身日本/東京

主な主演作

  • 『百円の恋』(2014)
  • 『万引き家族』(2018)
  • 『ある男』(2022)

湊の母親役を演じたのは、安藤サクラさん。

『万引き家族』に続く、是枝監督作品2度目であり主要キャストの安藤サクラさん。折り紙つきの演技力は、是枝監督も「2度仕事をしているがまだ底が知れない」と語るほど。

本作においても、湊が学校へ行くまでの上映開始数分のやり取りで、役に溶け込むすごさを感じました。

永山瑛太(保利道敏:湊、依里の担任教師)

『怪物』永山瑛太
(C)2023「怪物」製作委員会
名前永山瑛太
生年月日1982年12月13日
出身日本/東京

主な主演作

  • 『サマータイムマシン・ブルース』(2005)
  • 『ディア・ドクター』(2009)
  • 『友罪』(2018)
  • 『護られなかった者たちへ』(2021)

小学生の湊や依里の担任教師役を務めたのは、永山瑛太さん。

是枝裕和監督作品には本作が初出演となる一方で、坂元裕二脚本には『それでも、生きてゆく』を始めとして、いくつも出演しています。

小学校教師の保利は、瑛太さんに当て書きされたキャラクターで、それもあり本作でも特に印象的なキャラクターになっています。

黒川想矢(湊)/柊木陽太(依里)

『怪物』黒川想矢
(C)2023「怪物」製作委員会
『怪物』柊木陽太
(C)2023「怪物」製作委員会

物語の中心となる小学5年生の2人を演じる、黒川想矢さんと柊木陽太さん。

2人とも本作が映画初出演となり、メインキャラクターとなりました。是枝監督は、演出上、子役に台本は渡さずにその場で伝える手法で撮ることで知られていますが、それが難しいと考えた本作では、事前に台本を読んで芝居をしてもらったと話しています。

一方で、教室のシーンでは2人には台本を渡し、そのほかの生徒たちには渡さないで撮影したそうで、それによって生まれていた緊張感や空気感がリアルなものだったこともうなずけます。

ネタバレあり

以下では、映画の結末に関するネタバレに触れています。注意の上、お読みください。

【ネタバレ解説】『怪物』のあらすじ

『怪物』ベランダにいる湊と早織
(C)2023「怪物」製作委員会

物語は、山を背後に諏訪湖を見下ろす町のある夜、建物が火に包まれて炎上し、消防隊がサイレンを発して駆けつける場面から始まる。火災現場から離れた場所で、点火棒を手にした少年の後ろ姿が映される。

母親・早織から見た視点

小学5年生の湊(黒川想矢)と母親の早織(安藤サクラ)は、自宅のベランダからから火災現場を眺めていた。湊は、早織に「豚の脳を移植した人間は、人間?豚?」と質問する。奇妙な質問に戸惑う早織だったが、湊は担任の保利先生(永山瑛太)が話していたと告げる。

クリーニング店で働く早織は、ラガーマンだった夫を亡くし、湊と2人で生活している。学校から帰ってきた湊のスニーカーが片方しかなかったり、水筒には泥水が入っていたりと、最近の湊の様子が気がかりだった。さらにビルの火災現場の店舗だったガールズバーに保利がいたという噂を耳にしていた。そんな中、湊は洗面所で自分の髪の毛を切って散乱させていた。湊は校則だというが、早織は心配でならない。

ある夜、湊の帰りが遅く、これまでのこともあり、心配した早織は車を出して湊を探し回る。すると、森の中にある廃線跡のトンネルで「かいぶつ、だーれだ」と呼びかける湊を見つける。早織は湊を車に乗せて帰ろうとすると、車内で湊は「お父さんの…」と何か言っていたが、早織は語尾まで聞き取れていなかった。

その後、突然、湊は走行中の車からドアを開けて飛び降りてしまう。大事には至らなかったものの、早織は念のためにCT検査を受けさせる。脳に異常は見られなかったが湊の様子に異変を感じた早織が問い詰めると「湊の脳は豚の脳と入れ替えられた」と担任の保利に言われたと涙ぐみながら言うのだった。

翌日、早織は小学校に向かい、校長の伏見(田中裕子)に息子が受けた仕打ちを訴えるが、校長はどこか気もそぞろな様子。教頭(角田晃広)らが現れると、入れ替わるようにどこかへ行ってしまう。教頭は早織に、校長が孫を亡くしたばかりであることを伝える。

別の日、再び学校にやってきた早織の前に、教頭らに引き連れられた保利が現れる。「誤解を生むことになり残念だ」と謝罪するが、保利の言葉は、ただ台本を読んでいるだけのような棒読みだった。早織は「誤解ではない」と詰め寄るが、保利も校長も一辺倒の返答しかしなかった。

その後も、沈んだままの湊の様子を見た早織は、再び学校を訪れる。教頭は保利との接触を避けようとしていたが、保利の姿を見た早織が校長室を飛び出して彼に詰め寄ると、保利は「湊がクラスメイトの星川依里(柊木陽太)をイジメている」と言い放つ。早織は怒りを顕にする。

しかし、その後、早織は湊の部屋で点火ライターを見つけて不安に駆られてしまい、星川依里の自宅を訪ねる。彼の自宅には湊のスニーカーの片方があった。依里は「湊からイジメられたことはない」と言うが、彼の腕には火傷の跡が確認できた。

その後、早織依里に同席してもらい学校側に説明し、彼の証言によって保利が湊を叩いていることを報告する。その結果、保利は担任を外されることになる。

また別の日、湊がケガをしたと連絡が入り、学校に向かうと、生徒から休職しているはずの保利が湊を追いかけたと耳にする。

教頭に案内された部屋には湊の姿はなく、ベランダへの扉が開かれた状態だった。早織は嫌な想像を働かせるが、そこにも湊の姿はなく、音楽室から吹奏楽器の音が学校に鳴り響く。

その後、学校は保護者たちの前で謝罪会見を開き、保利が校内暴力を振るったことを認めて謝罪し、新聞でも大々的に報じられた。暴力沙汰の一件は幕を下ろしたかのように思えていた。

そんな中、町には台風が近づいており、早織が目覚めると、湊が姿を消していることに気がつく。一方、自宅の外では、大雨の中、保利が湊を呼ぶ姿があった。

教師・保利から見た視点

『怪物』保利先生
(C)2023「怪物」製作委員会

保利は、恋人の広奈(高畑充希)と帰宅する途中、ビルの火災を目撃していた。

ある日、保利は、突然、教室で暴れた湊を制止しようとして、彼の鼻に手が当たり、湊は鼻血を出してしまう。後日、湊の母・早織が校内暴力を訴えて学校にやってくる。誤解だと伝えようとするも、穏便に済ませたい校長や教頭の意向により、それとなく謝罪をする形になる。

図工の時間、湊が依里と取っ組み合いになることがあり、湊は耳にケガをして、2人とも服が絵の具まみれになってしまう。2人が仲直りしたことで、保利は保護者に報告しなかった。

保利依里の自宅を訪問する。するとそこで依里の父親、清高(中村獅童)が缶チューハイ片手に現れる。不動産で稼いでいることを自慢する清高は、「依里の頭には豚の脳が入っている」と言い放つ。

ある時、トイレの個室に閉じ込められている依里を発見し、そこから立ち去る湊の姿を目撃する。

そんな中、学校は5年生全員を対象に保利へのアンケート調査を実施する。その結果もあり、保利は担任を外され、謝罪会見を開くことになる。保利は自宅で広奈と生活していたが、記者が押し寄せてきたことで、広奈は保利のもとを立ち去っていく。

保利はどうしても湊と話がしたかった。学校に向かい、生徒たちがいる前で湊を追いかけると、精一杯の笑顔で自分が何かしたかと尋ねる。すると湊は首を横に振るのだった。しかし、その場を去っていく湊が階段で転んでしまい、生徒たちによって保利が突き落としたことにされていた。

絶望した保利は学校の屋上に登り、飛び降りようとする。しかし、音楽室から吹奏楽の音が聞こえてくると足を止める。

その後、自宅に帰った保利は、持ち帰っていた生徒たちの作文を見つけ、依里が書いた「品種改良」という作文の先頭列を読むと、湊と依里の名前になることを発見する。

町は台風が近づいていたが、嵐の中、湊の自宅へ向かう。保利は「自分が間違っていた」と叫び、湊に呼びかける。しかし、自宅に湊の姿はなく、出てきた早織と一緒に廃線跡へ向かうことになる。

台風によって激しく雨風が吹きつける中、2人は廃線跡を目指す。トンネルを超えた先では土砂崩れが起きていた。2人は朽ちた電車の車両にたどり着き、必死に泥をかき分けて車両の天井にある開口窓を開ける。

湊の苦悩と葛藤

『怪物』トランペットを持つ湊と伏見校長
(C)2023「怪物」製作委員会

湊が依里と話していると、依里をからかうクラスメイトが2人の会話の邪魔をする。

湊は依里が気になっているが、クラスメイトからのイジメの対象となっている依里と接触すると、自分も対象になりかねないと感じ、学校では依里を避けていた。

ある時、クラスメイトは依里の机にゴミを散乱させ、湊も無理やり参加させられてしまう。そこへ依里が戻ってくると、クラスメイトはからかい始める。湊は居ても立っても居られず、教室で暴れまわる。そこへやって来た保利先生に止められるのだった。

またある時は、靴を捨てられて靴下で帰宅する依里を見かけて、湊は自分のスニーカーの片方を貸す。その後、打ち解けた2人は、依里に連れられて森の中の廃線跡にやってくる。

トンネルの先には、朽ちた電車の車両があり、そこは2人だけの秘密基地となる。2人は車内を装飾したり、絵柄を当てる「怪物ゲーム」などをして遊んだ。

ある時、学校で猫の死体を見つけると、2人は埋葬してあげることにする。依里が持っていた点火ライターで枯れ葉に火をつけるが、心配した湊は水路から水筒で水を汲み上げて火を消し、依里からライターを回収する。

図工の時間、依里はクラスメイトに机を絵の具だらけにされてしまい、拭き取った雑巾を奪い取られ、からかわれてしまう。湊も引き込まれると、雑巾を依里に返すが、クラスメイトは2人をからかい始める。すると湊は依里に渡した雑巾を奪おうとし、取っ組み合いになる。保利先生はそのことを保護者に報告しないと話していた。

放課後、湊は廃線跡に向かい、依里に謝ろうとするが、そこに依里の姿はなかった。待っていても彼は現れず、すでに辺りは暗くなっていた。

廃線跡から帰ろうとする中、トンネルの向こうから誰かがやってくる。依里だと思っていたが、そこに現れたのは母、早織だった。車に乗って帰る中、湊は「お父さんのようにはなれない」と言うが、早織は聞き取れていなかった。すると、湊のスマホに依里からの電話が入り、戻ろうとした湊は走行中にドアを開け、落ちてしまう。

湊はあらゆる感情を抱えて苦しんでいた。休職中の保利先生が学校にやって来た後、湊はベランダに出てウソを付いたことを吐露する。すると、隣にいた校長が聞いていた。

校長音楽室に案内し、「誰にも言えないことは吐き出せばいい」とトロンボーンを手渡す。校長自らもホルンを手にして、2人は楽器の音を学校に響かせる。さらに、校長は湊に「誰かにしか手に入らないものは、幸せって言わない」と伝える。

湊と依里だけの世界

『怪物』廃線跡を走る湊と依里
(C)2023「怪物」製作委員会

湊は依里の家を訪れる。すると、父親と共に出てきた依里は「頭の病気が治った」と言い、さらに父親は「依里を転校させる」と言うのだった。湊は依里に「病気じゃない」と言うが、玄関扉を閉められてしまう。しばらくして依里だけが出てくると「ごめん、ウソ」と言い、後ろから怒った様子の父親に中に引き戻されてしまう。

台風が近づく朝、家を飛び出した湊は、依里の自宅へ向かう。家には父親の姿はなく、浴室でぐったりとする依里の姿を発見する。湊は依里を抱きかかえて浴室から出すと、彼の体にはアザがあった。

その後、2人は台風が近づく中、廃線跡へ向かう。朽ちた車両に入った2人は、変わらず2人の世界を築いていた。台風が去った後、這って水路を抜けると、雨が上がり、晴れた空のもとで光に包まれまながら、喜びに満ちた表情で高架線へと走り出す。

【ネタバレ感想】誰もが見たいものを見る

『怪物』教頭と保利先生
(C)2023「怪物」製作委員会

『怪物』は、小学校で起きた体罰問題を、主に3つの視点で描く物語です(早織の視点、保利の視点、湊の視点)。

異なる視点で同じ出来事を捉えるこの手法は、黒澤明監督の『羅生門』をはじめとして、近年でも『最後の決闘裁判』や、フランス・ドイツ合作の『悪なき殺人』、湊かなえ原作の『母性』でも使われています。

それぞれの主観で描かれるこのスタイル、それらを相対的に見ることになる観客は、客観的な「真実」や「答え」を探し求めて観てしまうのです。

本作においても私たち観客は、タイトルの「怪物」が一体誰なのか、何のことなのかを自ずと探していることでしょう。しかし、『怪物』では、起きた出来事に対しての原因究明に当たる部分は描かれません。

脚本を担当した坂元裕二氏は、パンフレットのインタビューで、「“視えていない”という視点を出発点とした」と話しています。

母親・早織の視点、保利先生の視点、湊の視点の3部構成で描かれる本作は、まさに、視えていない部分が徐々に視えていく物語。それぞれの視点で感じたことが、視点が変わることで、見えていたものが全く違った表情を見せるのです。

“怪物”とは何か

怪物さがし”を始めれば、いくらでもそれを見つけることができます。

見るからに明らかなところから言えば、息子・依里を「豚の脳」と言い放ち、“矯正”しようとする父親は言うまでもなく怪物で、“ドッキリ”の言い分でイジメをするクラスメイトも怪物。それらを見て見ぬフリをする生徒や湊も同様。

母親の早織にとって、体罰を与えて暴言を吐いた保利は怪物であり、まるで動こうとしない学校も怪物。学校にとっては早織は文字通り“モンスター・ペアレント”で、保利にとっては、ウソをついた湊がまるで理解できないし、便乗する生徒たちも怪物に見えます。保身に走る校長や教頭だってそう。さらに真実かも分からない噂話を拡散させる者たちや、それを鵜呑みにして攻撃する者たちも同様。子どもだって例外じゃない。

なんだ、みんな怪物じゃないか。そう、誰もが内なる怪物を抱えているのです。もちろん、映画を観る私や観客たちも。

本作は“怪物さがし”をする映画ではありません。誰がビルを燃やしたのか、校長は孫を死なせてしまったのか、真実はどこにあるのか、追い求めようとすると、見事に私たちの心に潜む怪物があぶり出されていきます。

プロダクションノートによると、坂元裕二氏が当初の脚本につけたタイトルは、『なぜ』でした。

答えについて描くのではなく、問いについて描きたいと思っていた

『怪物』パンフレットのプロダクションノートより

映画全体を通して見ると、伏見校長の見え方もまるで違ってみえるように、本作は3つの視点によって切り取られますが、人の数だけ視点があるのです。

SNSやメディアでは、日々何かの話題が炎上しています。正義感から行き過ぎた行動を起こすと、「善」も「悪」も簡単にひっくり返ることがある。

忙しない現代において、人々は「切り取られた」情報を簡単に鵜呑みにします。噂に尾ヒレがつき、それは怪物へと変貌する。「火のないところに煙は立たない」という言葉がありますが、火のないところに、いくらでも煙は立つのです。

哲学に「相対主義」というものがあります。相対主義は、人それぞれ立場によって価値観は変わるというもの。それを唱えたプロタゴラスという哲学者は“人間は万物の尺度”だと言いました。まさに本作の視点によって見え方が異なることを象徴するようなものです。

一見すると、その通りに思える相対主義ですが、絶対的に正しい真理がない世界では、何かを意思決定することは非常に難しいのです。「人それぞれだよね」と言えばそれで終わりですから。

伏見校長が「誰もが見たいものを見るんだよ」と語っていたように、人は自分なりの正しさを見つけていくのです。

書籍の誤植を正すことが趣味の保利先生、息子・依里のアイデンティティを否定して“矯正”しようとする父親、消しゴムで必死に机を消し続ける生徒、絵の具を机に撒き散らすイジメっ子。湊が宿題をするときの消しゴムのシーン。本作では何かを消したり、上書きする表現が繰り返して描かれます。

【ネタバレ考察】“かわいそうじゃない”と言う当事者がすべて

『怪物』組体操する生徒を見る保利先生
(C)2023「怪物」製作委員会

場面を変え、人を変え、あらゆるシーンや台詞が効果的に意味を持っていた本作。中でも印象的なのは、何気ない言葉から発せられる無意識の加害性

とりわけ本作では「無意識な男性性による抑圧」つまるところ、「有害な男らしさ」が挙げられます。

息子を愛する早織が湊にかける言葉だったり、保利先生が組体操(組体操自体も必要性を問うべき問題)や、ケンカ仲裁後に使う「男らしさ」の言葉。イジメっ子は、テレビ番組の“ドッキリ”を言い分にイジメを正当化します。

使う当人たちが何気なく発した言葉が、尾を引いて深く残る。それは物語上の一幕における湊の行動の内心、抱えていた痛みが分かるようになると、とても苦しくなってきます。

劇中、2回登場する台詞で非常に重要だと思えるのが、「僕はかわいそうじゃないよ」と言うシーン。1回目は湊が母の早織に対して言い、2回目は保利先生が恋人に向けて言います。

どちらも印象的なのは、当事者が当事者ではない人に向けて言っている言葉であること。

あたかも気持ちを代弁するかのような「かわいそう」という同情は、ステレオタイプな捉え方。同時にその言葉は、見えない壁を作ることにも繋がります。「かわいそう」というレッテルを他人が貼ることで、無意識に線引きをしていることにもなりかねないのです。

11歳のアイデンティティに葛藤する子どもが、自分で苦しみながら考えて、「僕はかわいそうじゃないよ」と言う。本作はそれがすべてだとも思います。

アイデンティティへの葛藤

私は本作を、アイデンティティに葛藤する主人公の苦悩と、自己受容の物語だったと捉えています。

口数が少ない湊は、自分の中で巻き起こる名付けようのない感情と一人でずっと闘っていました。湊はそれをどうすれば良いのか、相談もできず一人で抱えていました。それは依里の父親が言うように、「豚の脳なのか」と考えてしまうほど。

湊自身が傷付いていたと同時に、彼が気になっていた依里を無意識に傷付けてしまっていたかもしれない。インディアンポーカーに似た、絵柄を連想する「怪物ゲーム」で遊ぶ中でも、それが見られるところも悲しいです。

しかし、湊は自分で考えて、自分の正しいと思う行動を起こしました。それがウソを付き、周りを心配させ、傷付けることであっても。

宮沢賢治の名作文学『銀河鉄道の夜』の終盤、主人公ジョバンニは、銀河鉄道の中で、親友のカムパネルラにこう言いました。

きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでも僕たちいっしょに進んで行こう。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

台風で土砂崩れが起きる中、2人が廃線跡の車両(中には天体などの装飾もある)の運転席で出発する様子は、銀河鉄道に乗るジョバンニとカムパネルラのよう。

2人だけの世界の前には、文字通り柵はなく、眩い光に包まれた美しい世界なのです。湊と依里が選択したその世界は紛れもなく美しい。しかし、だからこそ映画を観た後の現実が残酷に突き刺さるのです。

「通常の作劇とは逆に、終盤に進むにつれ、物語性が希薄になってると思います。」

『怪物』パンフレットの坂元裕二氏インタビューより

ラストシーンの解釈は観る人によって変わることでしょう。柔らかな光で包まれた、ある意味ファンタジックなラストシーンは、爽やかなようで、とても残酷に映りました。

映像的にも、早織と保利先生が必死に土砂をかき分ける列車の外のシーンは泥に塗れて絶望感のある一方で、それを内側(湊と依里)から見上げる形で映したシーンは、泥に覆われた窓に落ちる雨が星のように見えるのです。

湊と依里が死んでしまったにしても、生きていたとしても、彼らの受難は計り知れない。

映像的には美しいラストですが、2人の選択と未来を、フィクションにおける幸せで終わらせてはいけない。坂元裕二氏は本作を「問いの物語」と言いました。次に紹介する『怪物』公開前に起きた議論と、今現実で起きている当事者たちの苦しみや葛藤を考えると、この映画は誰のための映画なのか。まさに考えなくてはならない「問い」が残ります。

クィア・パルム賞と『怪物』

『怪物』が公開されたカンヌで記者会見に応じた是枝裕和監督は、英国メディアによる「日本ではLGBTQ(など性的少数者)を扱った映画は少ないのでは」との質問に対して、以下のように答えています。

「LGBTQに特化した作品ではなく、少年の内的葛藤の話と捉えた。誰の心の中にでも芽生えるのではないか」

是枝裕和監督「存在しない怪物を見せる」カンヌ映画祭記者会見|毎日新聞

ロイター通信による実際の記事はこちら。(Japan's Kore-eda: sexual identity not the focus in film 'Monster'

この受け答えに対し、世界的に活躍する影響力のある監督が、あえてクィア映画であることを否定し、一般化したことが、SNSを中心に議論を呼びました。

日本での記者会見時での応答は以下の動画から視聴できます。

22分50秒あたりからが、性的マイノリティーに関する質疑応答です。

上記の動画内で、是枝監督は、映画における性的マイノリティの描き方について、監修のLGBTQ団体(名称は不明)から「主人公たちの年齢において、性自認・他認をすることは早い」とのアドバイスがあったと明かしています。

その上で、カンヌ国際映画祭では、LGBTQを扱った映画の中から選ばれる「クィア・パルム賞」を受賞しました。映画を観た上で、私は『怪物』がクィア映画であることは間違いないと感じました。

「LGBTQに特化した映画ではない」という発言は、文脈上の言葉ではあるものの、確かに説明不足な表現だったようにも思います(それが本作で描く「切り取られる」ことがあることを含めて)。さらに、キャラクターがクィアであることを“ネタバレ”的に展開していると言われていることも物議を醸しています。

映画の宣伝時において、クィアがネタバレとして扱われていたことを証明するソースは見つけられませんでしたが(どなたか見つけたらご教示ください)、私は映画を観た上で、物語がクィアをネタバレ的に扱う展開だったとは思えませんでした。

確かに、主人公のアイデンティティについて明かされるのが、3部構成の最後となる第3部である構造であることはその通りです。何をネタバレとするかは、それこそ相対主義的な考えになりますが、少なくとも物語上の“どんでん返し”のようなネタバレではないのは間違いありません。

もし本作が、カンヌでクィア・パルム賞を受賞しなかったとしても、映画が事前にクィア映画であることを明かすことは問題ないと思いますし、私はネタバレだとは思いません(一方で、同時にこれは事前に知ってから映画を観た今だから言えることでもあり、その場合に配給側がそうするかは分かりませんが)。

しかしながら、いろんな人の意見をみると、クィア・パルム賞を受賞したという事実をネタバレと捉えている人も少なからずいることを知りました。クィア、性的マイノリティはコンテンツではありません。そこに無意識な加害性があることは言うまでもありません。

東日本大震災を直接的に描いた新海誠監督の『すずめの戸締まり』では、鑑賞予定の方に注意喚起を行っていました。センシティブなテーマを扱う番組や海外ドラマなどでも事前にそういった要素があることを知らせることは近年でもよくあります。トラウマやフラッシュバックを誘発する可能性がある作品は、注意喚起があってしかるべきだと思います。

総じて、いろんな観点で話題を呼んだ本作。本作が描くテーマのひとつでもある「切り取られた視点によって見え方が変わる」ことは、まさに現実で起きていること。

切り抜き動画、ショート動画、倍速視聴など、生産性や“タイパ(タイムパフォーマンス)”が加速する現代。あらゆる媒体が、可処分時間の奪い合いを繰り広げています。

そんな中で、断片的な情報を鵜呑みにして拡散することの危うさは、本作を見ればよく分かります。

実際、ワイドショーでは内実を知らない人がお題とされたテーマに好き放題言っていることも日常茶飯事です。それでもテレビはワイドショーをやめられません。

SNSでは不安を煽るニュースや話題が飛び交い、それに対して誰彼構わず意見を言える時代。興味本位で便乗すると、自分が正しいことをしている気分なる一方で、その正しさは時に、怪物となるかもしれません。

まとめ:怪物とは…

今回は、是枝裕和監督の映画『怪物』をご紹介しました。

すべてのシーンが意味を持ち、表情を変えて見せる描写の上手さと、俳優たちのまさしく怪演、ロケーションや演出など、非常に完成度の高い映画になっています。

長野県諏訪市を舞台に、諏訪湖を見下ろす小学校や、最も重要なポイントとなる湊と依里の秘密基地、廃線跡のロケーションも素晴らしい。故・坂本龍一さんの奏でる音楽も言わずもがな。

記事の最初に注意したように、過去の記憶を想起させる辛い描写があるため、人を選ぶ作品だと思いますが、そのテーマと現実の問題を、観て考えていきたい作品でした。

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