ノートルダムの鐘

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映画

『ノートルダムの鐘』ネタバレ解説|ディズニー映画版が伝えたいこと

さあ 皆さん 見ていただこう ノートルダムの鐘の秘密

誰がモンスターで誰が心ある人間か

今回ご紹介する映画は『ノートルダムの鐘』です。

ヴィクトル・ユーゴーの原作を映画化した1996年公開のディズニーアニメーション映画。

パリのノートルダム寺院の鐘撞きの男を主人公に、宗教と信仰、民族と差別などを描く、ディズニー作品の中でもシリアスな内容が特徴。

本記事では、ネタバレありで『ノートルダムの鐘』を観た感想・考察、あらすじを解説。

まめもやし

ディズニーアニメーションの中でも「異質」な作品ですが、観る価値のある一本です!

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『ノートルダムの鐘』の作品情報

『ノートルダムの鐘』

ノートルダムの鐘

5段階評価

ストーリー :
キャラクター:
映像・音楽 :
エンタメ度 :

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あらすじ

パリのノートルダム大聖堂の鐘楼に、カジモドという名の鐘つき男が住んでいた。心優しい彼は、醜い容貌を理由に塔に閉じ込められいたが、年に1度の祭りの日、ついに鐘楼を抜け出す。

作品情報

タイトルノートルダムの鐘
原題The Hunchback of Notre Dame
監督ゲイリー・トルースデール
カーク・ワイズ
脚本タブ・マーフィ
アイリーン・メッキ
ボブ・ツディカー
ノニ・ホワイト
ジョナサン・ロバーツ
出演タブ・マーフィ
アイリーン・メッキ
ボブ・ツディカー
ノニ・ホワイト
ジョナサン・ロバーツ
音楽アラン・メンケン
編集エレン・ケネシア
製作国アメリカ
製作年1996年
上映時間90分

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原作:ヴィクトル・ユーゴー『ノートルダム・ド・パリ』

『ノートルダムの鐘』は、『レ・ミゼラブル』で知られるヴィクトル・ユーゴーによる1831年出版の『ノートルダム・ド・パリ(ノートルダムのせむし男)』が原作です。

カジモドのガーゴイルの友達であるヴィクトルとユーゴーは、まさにこれに由来しています。

『ノートルダムの鐘』のキャスト・キャラクター解説

キャラクター役名/キャスト/役柄
『ノートルダムの鐘』カジモドカジモド
長い間ノートルダム大聖堂の鐘楼で幽閉され、鐘撞きをしている。
『ノートルダムの鐘』エスメラルダエスメラルダ
パリの一角で暮らす「ジプシー」の若い女性。
『ノートルダムの鐘』クロード・フロロークロード・フロロー
パリの実権を握る判事。「ジプシー」を目の敵にしている。
『ノートルダムの鐘』フィーバスフィーバス
フロローの護衛隊長を務める帰還兵。

【ネタバレ解説】『ノートルダムの鐘』のあらすじ

『ノートルダムの鐘』カジモド
© Disney

カジモド

映画は15世紀のパリ。道化師のクロパンが子供たちに「ノートルダムの鐘の男」の物語を語る場面から始まる。

1462年、3人の「ジプシー」が不法にパリに忍び込む。法務大臣でパリの事実上の支配者であるクロード・フロロー判事は、兵士を待ち伏せさせて捕らえるが、1人の女性が逃げ出していく。

フロローは女性が盗品を持っていると思い、突き飛ばして奪うが、彼女が抱えていたのは赤ん坊だった。フロローはその赤ん坊の容姿を見て「モンスター」と言い放ち、井戸に落とそうとする。すると、寺院から司祭が現れて、フロローが女性を殺しただけではなく無実の子供まで殺そうとしたことを非難する。

フロローはノートルダム寺院の聖人像たちの視線にひるみ、赤子を自分の子供として育てるという司祭の命をしぶしぶ承諾する。フロローは大聖堂の鐘楼に彼を隠し、「カジモド」と名付ける。

フィーバスとエスメラルダ

20年後、カジモドはノートルダムの鐘撞きとして心優しい青年に育っていた。3体のガーゴイル【ヴィクトル/ユーゴ/ラヴァーン】が友達だったが、フロローに外出を禁じられている孤独なカジモドは、町に出ることを願っている。そんな中、町では祭りが開催されようとしていた。

一方、戦争から帰還し、フロローの護衛隊長としてやってきたフィーバスは、ジプシーのエスメラルダがペットのヤギのジャリと一緒に踊っている姿に魅了される。フィーバスは兵隊に金を盗んだと言いがかりを付けられたエスメラルダが逃げるのを助ける。

その後、フロローに会ったフィーバスは、パリからジプシーを根絶やしにすることが仕事だと命じられる。

愚か者の祭り

『ノートルダムの鐘』クロパンとカジモド
© Disney

町の中心部では「愚か者の祭り」が開催されていた。その様子を近くで見ようとしたカジモドは、不覚にも中心に入ってしまう。エスメラルダと会ったカジモドは彼女に「仮面」を褒められ、コンテストに参加させられてしまう。

エスメラルダと観客たちは、カジモドの顔が仮面ではないことを知って驚くが、クロパンはカジモドが「パリで一番醜い顔」として祭り上げる。しかし、兵士の1人がカジモドにトマトを投げつけると、群衆たちもそれに続いて彼に攻撃し、侮辱する。

カジモドはフロローに助けを求めるが、フロローは外出禁止を破った罰だとして眺めるだけだった。すると、エスメラルダがカジモドの拘束を解き、公平であるべき立場のフロローを非難する。フロローはエスメラルダを捕らえるように指示するが、彼女は華麗にその場を逃げ出していく。

聖域

フロローはフィーバスにエスメラルダを捕らえるように命じ、ノートルダム大聖堂内で彼女に接触する。

フィーバスは「聖域」内での逮捕はできないとフロローに伝えるが、フロローは無理やりエスメラルダを掴んで脅す。司祭が間に入ったことでフロローは立ち去るが、大聖堂の周りを兵士に取り囲まれてしまう。

エスメラルダは、迫害を受ける自分たちジプシーに聖堂で祈りを捧げ、彼女の姿をカジモドは見守っていた。その後、カジモドに気づいたエスメラルダは、鐘楼にやってくる。彼女はカジモドの芸術的才能を褒め、2人はパリの夕日を眺めて友情を育む。

カジモドは祭りで助けられたお礼として、彼女を兵士に気づかれずにノートルダム寺院から脱出するのを手助けする。エスメラルダは自分と一緒に「奇跡の法廷」に来ることを提案するが、カジモドが断ると、ネックレスを手渡す。

燃えるパリ

『ノートルダムの鐘』フロロー
© Disney

カジモドはガーゴイルたちにエスメラルダを守ったことを褒められ、エスメラルダのようにありのままの自分を愛してくれる人がいれば自分にも幸せが訪れるかもしれないと感じていた。

その頃、フロローは自分の中に湧き上がるエスメラルダへの欲情に気づき、その感情から解放されるために祈りを捧げていた。翌朝、彼女が寺院から逃げたことを知らされると、フロローは街中のジプシーたちを追い詰め、エスメラルダを血眼になって捜索するが、誰一人として居場所を明かさない。

その後、ジプシーを泊めた家族に迫ると、フィーバスに家に火を放つことを命じるが、フィーバスはフロローに逆らい、家族を助ける。フロローは反逆罪としてフロローを処刑しようとするが、近くで隠れ見ていたエスメラルダが気をそらしてフィーバスが逃げるのを手助けする。しかし、追手の追撃に遭い、フィーバスはセーヌ川に落ちてしまう。

フロローたちが去った後、エスメラルダはフィーバスを川から助けてノートルダム寺院のガジモドのもとに助けを求める。

奇跡の法廷

その頃、カジモドはパリの町が火に包まれているのを眺めながら、エスメラルダの身を案じていた。そんな中、エスメラルダが負傷したフィーバスを連れてやってくる。

ガジモドはエスメラルダが無事に戻ってきたことを喜ぶが、彼女とフィーバスが互いに想いを寄せている様子をみて心が張り裂けそうになる。しかし、ガジモドはフィーバスを匿うというエスメラルダの頼みを承諾する。

その後、カジモドは鐘楼にやってきたフロローに、エスメラルダの逃亡を手助けしたことを問い詰められる。フロローは「ジプシーの隠れ場所に兵隊を率いて襲撃する」と言い残して去っていく。

回復したフィーバスは、フロローよりも先にエスメラルダを見つけるため、探しに行くことを決意する。はじめはフロローに立ち向かう恐怖とフィーバスへの嫉妬で躊躇していたカジモドだったが、決意を固めてエスメラルダ探しに同行する。

カジモドはエスメラルダからもらったネックレスが「奇跡の法廷」を指し示す地図であることに気づき、その場所へ向かうが、クロパンが指導するジプシーの待ち伏せに遭い、捕らえられて首を吊るされそうになる。そこへエスメラルダが現れ、誤解を解いて2人は助けられ、3人は再会を喜ぶ。

しかし、2人を尾行していたフロローが兵を率いて現れると、3人は捕らえられてしまう。

パリの英雄

『ノートルダムの鐘』ぶら下がるカジモドとエスメラルダに剣を振りかざすフロロー
© Disney

夜が明け、フロローは広場でエスメラルダを火刑に処そうとしていた。彼はエスメラルダに自分のものになれば命は助けると持ちかけるが、彼女はつばを吐きかけてにらみつける。

火刑が執行されようとする中、鐘楼で拘束されていたカジモドは力を振り絞って拘束を解き、エスメラルダを救い出す。カジモドは彼女を連れて聖堂内に入り、「聖域」を主張する。

フロローはそれを無視して聖堂を占拠するように命じるが、混乱に乗じて解放されたフィーバスがパリの市民にフロローの暴政に反乱する火種を起こす。カジモドとガーゴイルたちは聖堂から中に入ろうとする兵士たちに対抗して追い払う。

そんな中、フロローは剣を片手に聖堂内に侵入していた。カジモドはエスメラルダをベッドに寝かせるが、彼女に反応がなく、死んでしまったかと思って悲しんでいた。背後からフロローが襲いかかるが、カジモドの怒りと悲しみはフロローを圧倒する。

すると、エスメラルダが意識を取り戻し、カジモドはエスメラルダを連れて逃げようとする。フロローは執拗に追いかけ、2人は聖堂の端のガーゴイルにぶら下がる。フロローが決着をつけようと剣を振りかざすと、彼が乗っていたガーゴイルが崩れ、フロローは火に包まれた広場に落ちていく。

カジモドはエスメラルダに掴まってぶらさがるが、重さに耐えられず落下してしまう。すると下階にいたフィーバスがカジモドを受け止めて助ける。3人は再び再会して手を重ねて友情を確かめ合い、カジモドはエスメラルダとフィーバスの仲を祝福する。

市民たちはフロロー軍に勝利し、聖堂から出てきたエスメラルダとフィーバスを祝福する。エスメラルダはカジモドに手を差し出して先導し、カジモドは再び市民の前に姿を現す。

1人の少女が駆け寄ると、カジモドの顔に触れて抱きしめる。すると喝采が起き、カジモドは市民たちに迎えられる。

愚か者の祭り(Feast of Fools)とは何か

『ノートルダムの鐘』クロパンとカジモド
© Disney

映画の前半にカジモドが意図せず参加してしまう祭りがあります。これは「Feast of Fools」と呼ばれる実在した祭りで、このシーンだけを切り抜いたディズニー発行の絵本では「おろかもののまつり」と題されています。

「愚か者の祭り」は、中性のヨーロッパ、特にフランスで1月1日(諸説あり)に聖職者たちによって祝われていました。

祝祭では、上級聖職者も下級聖職者と役割を交換し、全員が仮装して愚かな振る舞いをしたり、偽の司教や教皇を選出し、教会の儀式をパロディ化する、嘲笑と倒錯を表現した祭りでした。

「愚か者の祭り」は、立場を逆転させることによって、より大きな暴動や反乱に発展しかねない大衆の不満のはけ口を管理下に置くこと、そして権力者にその地位の恩恵を思い起こさせることとして機能していたのです。

しかし、教会からは冒涜的で無秩序なものとして非難されました。その結果、中世後期になると、次第に姿を消し、他のカーニバルに取って代わられるようになりました。

Once a year we throw a party here in town
Once a year we turn all Paris upside down
Ev’ry man’s a king and ev’ry king’s a clown
Once again its Topsy Turvy Day…
It’s the day the devil in us gets released
It’s the day we mock the prig and shock the priest
Ev’ry thing is topsy turvy at the Feast of Fools!

劇中の楽曲「トプシー・ターヴィー(Tospsy Turvy)」の歌詞をみてみましょう。「Tospsy Turvy」は「あべこべ、逆さま」を現す意味の言葉で、この祭りが役割の逆転を現すことがわかります。

歌詞の中の「すべての王様は道化師(Ev’ry man’s a king and ev’ry king’s a clown)」とあるように、ディズニー映画版では、聖職者に対する位置づけが「道化師」となっており、映画で道化師にあたるのがクロパンが先導する「ジプシー」たちです。

“ジプシー”とロマの人々

『ノートルダムの鐘』ジプシー
© Disney

クロパンとエスメラルダは、映画内で「ジプシー」という言葉で呼ばれていますが、この「ジプシー」という言葉は、それまで侮蔑的呼称として使われてきた歴史があります。1971年に開かれた世界ロマ会議では、彼らが断固とした抗議の意思を示し、自らを「ロマ(ロマニ)」と呼ぶことを宣言しました。

ロマの人々はインドにルーツを持つと言われており、数百年に渡って主にヨーロッパ各地を移動する生活を続けてきました。その歴史の中で、様々な土地で差別や迫害の対象になっていました。ナチス・ドイツによるホロコーストでは、数十万人を超える人々が虐殺されるも、その歴史はユダヤ人に起きた悲劇のようには広く知られていません。

そんなロマの人々の描き方が、ディズニー映画ではユーゴーの小説以上に際立って表現されていることも印象的。

ユーゴーの小説版とディズニーアニメの違い

ヴィクトル・ユーゴーの原作を映画化した本作ですが、実は原作との違いは多くあります。さらに言うと、ミュージカル版もまた違っていますが、ここでは、原作小説とディズニーアニメの違いを比較していきます。

フロローの違い

違いを比較

  • 原作小説
    • フロローはノートルダム大聖堂の助祭
    • フロローにはジェアンというグレた弟がいる
    • カジモドや弟に優しく接する様子もある
  • ディズニーアニメ
    • フロローは最高裁判事/法務大臣
    • 悪人として描かれている

原作のフロローは、聖職者であることの献身と、エスメラルダに対する欲情に葛藤する様子が主軸で描かれています。

ディズニーアニメで描かれたような明確な悪役(ヴィラン)というよりも、複雑な事情を抱えた人物で、カジモドと外で散歩するシーンや優しく教えたり接する場面も描かれています。

とはいえ、エスメラルダへの想いをこじらせて様々な狂気の犯罪を犯す悪人であることには違いありません。

カジモドの違い

違いを比較

  • 原作小説
    • エスメラルダに容姿の醜さで顔を背けられる
    • エスメラルダへの想いを持ち続ける
    • 意地悪な性格と書かれている
    • 耳が聞こえない
    • ガーゴイルたちは登場しない
  • ディズニーアニメ
    • 主人公として描かれている
    • エスメラルダは容姿を気にしない
    • エスメラルダとフィーバスの仲を祝福する
    • 善良で心優しき性格

ディズニーアニメでは主人公のカジモドですが、原作では主人公(物語の中心)はエスメラルダ。さらに、原作のカジモドは、長年の鐘撞きによって耳が聞こえないというハンデも負っています。

容姿の醜さと意地悪な性格のカジモドが、エスメラルダに恋をするという原作ですが、エスメラルダはカジモドの顔を見て顔を背けてしまいます。

エスメラルダの違い

違いを比較

  • 原作小説
    • フロロー、カジモド、フィーバスなど多くの男性に恋愛・性的な対象として見られる
    • 恋したフィーバスとは結ばれない(彼は婚約者がいる遊び人)
    • 実はカジモドの代わりに誘拐されたフランス人
  • ディズニーアニメ
    • 逞しくて自立した“ジプシー”の女性
    • フィーバスと結ばれる

ユーゴーの原作において、主人公であり物語の中心にいるのがエスメラルダです。

“ジプシー”の心優しきダンサーであるエスメラルダですが、実はその出自は、“ジプシー”ではなく、カジモドの代わりに誘拐されたフランス人だったことが明かされます。

フィーバスの違い

違いを比較

  • 原作小説
    • 婚約者がいる中でエスメラルダに迫る女癖の悪い人物
  • ディズニーアニメ
    • 正義心のある誠実な人間

原作とディズニーアニメで大きく違うのが、フィーバスのキャラクター。ユーゴーの原作におけるフィーバスには貴族の女性の婚約者がいますが、エスメラルダに関係を迫る好色な人間です。

ディズニーアニメにおけるフィーバスは、パリの市民を焚き付けたり、英雄的な立ち位置になっていますが、原作では市民を先導したのはクロパンであり、フィーバスはとても良い人間とは言えません。

キャラクターの結末の違い

違いを比較

  • カジモド
    • 原作:カジモドと思われる白骨化遺体が、エスメラルダの骨に寄り添った形で発見される
    • アニメ:エスメラルダ、フィーバス、市民に迎えられる
  • フロロー
    • 原作:カジモドに鐘楼の塔から突き落とされて死亡
    • アニメ:鐘楼の塔から落下して死亡
  • エスメラルダ
    • 原作:フロローの要求を断って処刑される
    • アニメ:フィーバスと結ばれる
  • フィーバス
    • 原作:婚約者と(不幸な)結婚生活を送る
    • アニメ:エスメラルダと結ばれる

ディズニーアニメ版がハッピーエンドに近いのに対して、ユーゴーの原作小説はとてもハッピーエンドとは言えない、暗い終わり方になっています。

【ネタバレ考察】ディズニー映画版が伝えたいこと

『ノートルダムの鐘』カジモド
© Disney

ユーゴーの原作の変更によって本作を批判する意見もありますが、ディズニー映画のフォーマットに落とし込む変更は見事だったと思います。

ヴィクトル・ユーゴー版の暗い物語を知ると、ディズニー映画版がハッピーエンドであることがわかりますが、原作を改変してディズニー映画が伝えたいことはなんだったのかを考えていきます。

不完全なキャラクターの現実性

まず第一に挙げられるのは、ほかの多くのディズニー作品とは明らかに違ったキャラクターたち。

主人公のカジモドは、「奇形」の子供として誕生し、長い間、孤独に過ごしています。

フィーバスとエスメラルダの関係を知ったときに気落ちしてエスメラルダを助けに行くことに躊躇したり、心優しい部分と、消極的で引っ込み思案な様子が描かれています。

エスメラルダは、自立した強い女性としてフロローの不正義に立ち向かう逞しい様子が印象的ですが、彼女は自分の属する「ジプシー」以外は信用できず、神に祈りを捧げるしかない様子も描かれています。

フィーバスは勇敢な男に改変されているものの、フロローが「ジプシー狩り」をはじめて、それに反抗するまでは時間を要し、一線を越えるまでは見逃していることで、彼が純粋な英雄ではないことはわかります。

そして、悪役であるフロローは最も顕著に現れています。彼は多くのディズニーヴィランズのように魔法が使えるわけではありませんが、原作の聖職者を最高裁判事に変更することで、「権力」による影響が克明に描かれています。

法を司る立場であるフロローが、自らの欲情・嫌悪によって法を犯す様子は、強烈な悪役としての印象を残します。

一度殺そうとしたカジモドを自分の利益のために育てる様子はグルーミングであり、これは後の『塔の上のラプンツェル』において、ラプンツェルとゴーテルの関係性にも近いものがあります。

誰がモンスターで誰が心ある人間か

本作のテーマは、オープニング楽曲『The Bells of Notre Dame』を通してクロパンが子供たちに語る「誰がモンスターで誰が心ある人間か」という言葉に集約されています。

「奇形」のカジモドと、権力者であるフロローは、わかりやすい対比構図で描かれています。フロローはカジモドの見た目を「モンスター」と言いましたが、フロローの内面こそが「モンスター」でした。

カジモドのキャラクターに象徴されるように、見た目の良し悪しが内面を映すとは限らないのです。それは広い意味で、文化的背景と民族への偏見にも及んでいます。カジモドとエスメラルダ、それぞれ見た目や偏見・差別によって虐げられた人物が、その尊厳を取り戻す内容を描いています。

彼らがフロロー、つまり権力に対抗するという構図になっており、民衆には声を上げる力、世を動かす力があることが映し出されます。もちろん、それは悪い意味においても。

集団心理の危うさ

前半の「愚か者の祭り(Feast of Fools)」のシーンでは、民衆たちはカジモドの容姿の悪さに言葉を失っていますが、クロパンが「あべこべの祭りではカジモドが王様」と呼びかけると、人々は祭り上げます。

一方で、兵士の1人が花ではなくトマトを投げつけたことがきっかけで、彼に物を投げつけ、容姿を揶揄する流れが生まれています。民衆たちはそれを「笑う」ことで正当化しています。

その後、エスメラルダが止めに入り、フロローを非難して逃げるシーンでは、彼女を応援するように歓声を挙げています。反対に、物語の後半では、フィーバスが焚き付けたことで、市民たちはフロロー軍に対抗している様子が描かれています。

『ノートルダムの鐘』における民衆は、まさに私たち人間の写し鏡。ひとりではできない行動も、集団になればできてしまう。私たち一人ひとりが「モンスター(怪物)」になる危険性をはらんでいます。

是枝裕和監督の映画『怪物』(2023)では、切り取られた情報、視点の変化によって人々は「怪物」になり得る様子をあぶり出しています。

また、森達也監督の映画『福田村事件』(2023)では、関東大震災後に起きた実際の虐殺事件を題材に、集団心理の危うさを描いた作品で、本作にも通じる部分があります。

障害を描く上での問題点

ユーゴーの強烈な原作を、老若男女が楽しめるディズニー・ミュージカルに落とし込んだ本作。ただ、カジモドの描き方については議論されるべき余地があると思います。

ディズニー版では原作小説をハッピーエンド化しましたが、カジモドの恋は報われない結果となりました。ディズニー版での文脈においてこの描き方をすることがいかに問題があるのか。

本作のカジモドの描かれ方で観客が受け取るのは、「かわいそう」というもの。ディズニー版は、あえて障害を「マイルド」にし、性格を「無垢で純粋」なものに変えています。それにもかかわらず、カジモドはエスメラルダとの恋を叶えることはできず、ハンサムなフィーバスが彼女と結ばれています。

最後に民衆に迎えられる「感動的」なシーンでは、エスメラルダに手を引かれて現れ、少女に顔を撫でられています。この場面、エスメラルダとフィーバスはまるで両親のように、少女は母親のようにも見えるのです。

つまり、障害者という表象を被保護的存在として位置づけ、同情を誘うような描き方になっているのです。

本作に一番近くて描き方が対照的なのが、デヴィッド・リンチ監督の『エレファント・マン』(1980)です。「奇形」の主人公が、「見世物」から「1人の患者」に変化する様子が描かれています。劇中の「私は動物ではない、人間だ」というセリフが印象的に響き、主人公が最後に取る選択は、本作とは対照的に映ります。

ろう者家族の中でひとりだけ健聴者である主人公を描いた『コーダ あいのうた』(2021)では、誰もが笑って泣ける感動作でありながら、そこには健常者・障害者の壁は感じられません。

HIKARI監督の『37セカンズ』(2020)では、脳性麻痺の主人公の恋愛や仕事、母親との対峙を描き、自ら道を切り開く様子を当事者の佳山明さんが演じています。

映画における障害者の表現は、多様に変化しています。願わくば、今後のディズニーアニメーション作品で、障害者やマイノリティを家族や恋愛などにおける「受容」の形ではないオリジナル作品が生まれることを期待しています。

まとめ:「かわいそう」で終わらない作品を…

今回は、ディズニー・アニメーション映画『ノートルダムの鐘』をご紹介しました。

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