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インビクタス/負けざる者たち

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ヒューマンドラマ

【実話が映画化】『インビクタス/負けざる者たち』ネタバレ感想・名言・音楽・意味の解説まで

今回ご紹介する映画は『インビクタス/負けざる者たち』です。

クリント・イーストウッド監督、モーガン・フリーマン主演による、実話と元にした伝記小説を映画化したドラマ。

本記事では、ネタバレありで『インビクタス/負けざる者たち』を観た感想・考察、あらすじを解説。

まめもやし
まめもやし

信念に生きたネルソン・マンデラの姿は映画を観る人も変える力があるような名作でした!

『インビクタス/負けざる者たち』の作品情報

『インビクタス/負けざる者たち』

インビクタス/負けざる者たち

5段階評価

ストーリー :
キャラクター:
映像・音楽 :
エンタメ度 :

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あらすじ

1994年、南アフリカ初の黒人大統領となったマンデラは、国をまとめるためには、自国で開催されるラグビーワールドカップでの優勝が必要と感じてある行動を起こす。

作品情報

タイトルインビクタス/負けざる者たち
原題Invictus
監督クリント・イーストウッド
脚本アンソニー・ペッカム
出演モーガン・フリーマン
マット・デイモン
撮影トム・スターン
音楽カイル・イーストウッド
マイケル・スティーヴンス
編集ジョエル・コックス
ゲイリー・D・ローチ
製作国アメリカ・南アフリカ共和国
製作年2009年
上映時間132分

予告編

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『インビクタス/負けざる者たち』の監督・キャスト・キャラクター

監督:クリント・イーストウッド

クリント・イーストウッド
名前クリント・イーストウッド
生年月日1930年5月31日
出身アメリカ・カリフォルニア

主な監督作

  • 『許されざる者』(1992)
  • 『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)
  • 『硫黄島からの手紙』(2006)
  • 『グラン・トリノ』(2008)
  • 『アメリカン・スナイパー』(2014)

監督は、ハリウッドでも最も有名な映画監督のひとりであるクリント・イーストウッド

イーストウッドは『父親たちの旗』(2006)、『硫黄島からの手紙』(2006)、『チェンジリング』(2008)、『J・エドガー』(2011)など、これまでにも歴史的な事件や人物を扱った映画を多く監督しています。

キャスト・キャラクター

キャラクター役名/キャスト/役柄
ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)
アフリカ民族会議(ANC)の議長。南アフリカ初の黒人大統領となる。
フランソワ・ピナール(マット・デイモン)フランソワ・ピナール(マット・デイモン)
ラグビーチーム「スプリングボクス」のキャプテンでオープンサイドフランカー。
ジェイソン・シャバララ(トニー・キゴロギ)ジェイソン・シャバララ(トニー・キゴロギ)
マンデラ大統領の熱心な警備責任者。

主演はモーガン・フリーマンとマット・デイモン、どちらもハリウッドを代表する人気と実力を兼ね備えた俳優。

特に本作におけるモーガン・フリーマンの姿は、ネルソン・マンデラそのもの。容姿はもちろん、彼の指導者としてのカリスマ性、知恵、勇気を見事に表現しています。

タイム誌のインタビューによると、ネルソン・マンデラは、映画の製作に当たって「モーガン・フリーマンに演じてほしい」と指名し、2人の友好関係が始まったと明かされています。

ラグビーチームのキャプテン役を演じたマット・デイモンも素晴らしく、静かでありながらも情熱を秘めた説得力のある感動的な演技も披露しています。

音楽

映画の音楽と手掛けたのは、クリント・イーストウッドの息子でありベーシストのカイル・イーストウッドと、イーストウッド監督作の音楽を長年担当しているマイケル・スティーブンスが担当。2人は『硫黄島からの手紙』でも音楽を手掛けています。

楽曲では、南アフリカのア・カペラグループのOvertone(オーバートーン)をフィーチャーしています。

「インビクタス」の意味とは

インビクタス 負けざる者たちインビクタス 負けざる者たち
ジョン・カーリン

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『インビクタス/負けざる者たち』は、ジョン・カーリンによる伝記小説『Playing the Enemy: Nelson Mandela and the Game That Made a Nation』に基づいた映画です。

南アフリカ初の黒人大統領であるネルソン・マンデラが、1995年のラグビー・ワールドカップを国家の結束と和解の象徴としてどのように利用したかという実話を描いています。

この映画のタイトル「Invitus」は、ラテン語で「征服されざる者」「無敗の者」を意味しています。また、ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの有名な詩のタイトルでもあり、マンデラは映画の中でこの詩を朗読し、彼とラグビーチームのキャプテン、フランソワ・ピナールを鼓舞しています。

私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
私はあらゆる神に感謝する
我が魂が征服されぬことを
無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流しても
決して屈服はしない
激しい怒りと涙の彼方に
恐ろしい死が浮かび上がる
だが、長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が運命の支配者
私が我が魂の指揮官なのだ

INVICTUS – William Ernest Henley

『インビクタス/負けざる者たち』は実話を元にした映画

モーガン・フリーマンとネルソン・マンデラ
モーガン・フリーマン(左)とネルソン・マンデラ(右)

2019年、ラグビー・ワールドカップが日本で開催され、日本代表をはじめとして世界中の選手のプレーに歓喜したのが記憶に新しいと思います。

『インビクタス/負けざる者たち』は、映画を観た人はフィクションのように思えるかもしれませんが、描かれているのは紛れもなく実話であり、だからこそ胸に響く映画になっています。

ここでは、映画の背景にあるネルソン・マンデラと南アフリカ共和国について紹介します。

ネルソン・マンデラという男

1994年に南アフリカ共和国にて初の黒人大統領となったネルソン・マンデラ。ノーベル平和賞を受賞した彼ですが、マンデラの人生は過酷なものでした。

1950年代から南アフリカにおいて、アパルトヘイトという黒人蔑視の人種隔離政策がありました。マンデラはアフリカ民族会議(ANC)の指導者として、この政策と戦い続けました。

彼は当初は非暴力的な手段で抵抗しましたが、政府の弾圧と暴力によって多くの仲間が殺されたり投獄されたりしました。マンデラ自身も何度も逮捕されたり裁判にかけられます。

その後、南アフリカ連邦から南アフリカ共和国へと名称が変わります。ますます強まっていアパルトヘイトに対して、マンデラたちも非暴力抵抗運動から武装闘争へと変わっていきます。それが引き金となって、1962年にマンデラは逮捕され、27年もの間獄中生活を送ることになってしまったのです。

マンデラが幽閉されたのは映画の中でも登場する、ロベン島という場所。こちらは「負の遺産」として世界遺産にも登録されています。ロベン島では、マンデラは重労働や拷問に耐えながらも、他の囚人たちの指導者として尊敬されました。

彼は獄中で法律の勉強をし、政治活動を続けました。彼はまた、白人の看守たちとも対話をし、時に彼らの心を動かすこともありました。

その後、国際社会においてもアパルトヘイトに対する非難が強まり、各国は企業の撤廃などの経済制裁を踏み切ります。黒人たちの蜂起も起き、非常事態宣言にまで至りました。

経済制裁も強まり、政府は政策の転換を迫られることとなり、ついにマンデラは釈放されます。彼は釈放された日に、数万人の人々の前で演説をしました。マンデラはアパルトヘイトの撤廃と民主化を求め、それと同時に暴力や復讐を避けるように呼びかけました。

私たちは平和と調和のために戦ってきました。私たちは平和と調和のために戦い続けます

27年間の獄中生活から解放されたマンデラはANCに復帰し、その後の選挙においてANCが第1党となり、マンデラは大統領となったのです。

マンデラは世界中から愛され、尊敬される政治家でした。大統領就任式において、マンデラは生まれ変わった南アフリカを「虹の国」にたとえました。雨上がりの空に架かる7色の虹のように、白人も黒人もあらゆる人種も分け隔てなく、互いに認め合いながら国を創り上げていこうという意味が込められています。

彼は大統領として、アパルトヘイトの被害者や加害者の和解を促し、真実和解委員会を設置しました。彼はまた、貧困やエイズなどの社会問題にも取り組みました。1999年に大統領を退任しましたが、その後も世界の平和や人権のために活動しました。

ネルソン・マンデラは2013年に95歳で亡くなりましたが、彼の遺志・信念は今もなお多くの人々に受け継がれています。

南アフリカにおけるラグビー

『インビクタス 負けざるものたち』握手するネルソン・マンデラとフランソワ・ピナール
(C)2009 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC.

ラグビーは南アフリカにおいて古くから親しまれていたスポーツでもありました。1862年にケープタウンで行われた最初の公式なラグビーの試合は、イギリスの学校でラグビーを学んだ白人の市民と軍人の間で行われました。

その後、ラグビーは白人の間で人気が高まり、1875年には最初のラグビークラブが設立されました。1906年から1907年にかけて、南アフリカは初めて国際的なラグビーチームを結成し、イギリス諸島へのツアーに出かけました。

このツアーは、白人の中でもイギリス系とアフリカーンス系の間にあった対立を和らげる効果がありました。イギリスのメディアは、このチームを「スプリングボクス」と呼びました。これは、チームが自ら名乗ったアフリカーンス語の愛称「スプリングボッケン」の英語化されたものでした。スプリングボクは南アフリカの国の象徴となりました。

アフリカーンス系(アフリカーナー)とは、アフリカ南部に居住する白人のうち、ケープ植民地を形成したオランダ系移民を主体に、フランスのユグノー、ドイツ系プロテスタント教徒など、信教の自由を求めてヨーロッパからアフリカに入植した人々が合流して形成された民族集団を指します。

一方、ラグビーは白人だけでなく、黒人にも広まっていきました。19世紀の後半には、一部の黒人がラグビーを自分たちのアイデンティティの一部として受け入れました。1897年には、黒人のラグビー組織として最初のものである南アフリカ有色人ラグビー協会が設立されました。

ラグビーは、ケープ地方の黒人の間で、宗教的な違いを乗り越える役割を果たしました。試合は、異なる宗教背景の女性、男性、子供たちを観客として集めました。コミュニティのメンバーは、ダンスなどの活動を通して自分たちのクラブのためにお金を集めたり、協力したりしました。

試合はまた、選手たちに対する相手のタフさや勇気に対する相互の尊敬の感情も生み出しました。しかし、クラブのメンバーシップは宗教的な線引きに厳しく従っていました。

ラグビーは、南アフリカの人々を結びつけるスポーツでもありました。イギリスがアフリカーンス系の人々を強制収容所に送り込んだ南アフリカ戦争(1899年から1902年)のわずか数年後には、両者はスプリングボクスの旗の下で一緒にプレーしました。

ラグビーはまた、戦争中に捕虜となったアフリカーンス系の人々にも広まりました。彼らは捕虜の試合を通してラグビーを学びました。そして、ステレンボッシュ大学は、後の選手や管理者たちの養成の場となりました。

しかし、ラグビーは南アフリカの人々を分断するスポーツでもありました。1948年にアパルトヘイトが始まると、黒人は白人から隔離され、ラグビーのピッチや練習施設へのアクセスを奪われました。

ラグビーは、白人の少数派とアパルトヘイト政権との関係を象徴するスポーツとして、多くの黒人に嫌われました。国際社会も、南アフリカのラグビーに対して抗議や制裁を行いました。

そして南アフリカは、1976年のニュージーランドとの試合で暴動が起きた後、国際ラグビー評議会から追放されます。その後、南アフリカは1992年にアパルトヘイトが終わるまで、国際的なラグビーの試合に参加できなくなったのです。

そんな中、ネルソン・マンデラは初めて自国開催となる1995年の南アフリカ大会で、ラグビーを通して国の統一と和解を図ろうとしたのです。

マンデラは、白人の象徴であったスプリングボクスを支持し、黒人にも応援するように呼びかけました。マンデラはまた、スプリングボクスのキャプテンであるフランソワ・ピナールと親交を深め、彼に勇気と信頼を与えました。

スプリングボクスは、マンデラの後押しと国民の声援を受けて、決勝でニュージーランドを破り、歴史的な優勝を果たしました。この瞬間は、南アフリカのラグビー史においてもっとも象徴的な瞬間となったのです。

映画『インビクタス/負けざる者たち』のネタバレ感想

『インビクタス 負けざるものたち』黒人少年たちにラグビーを教えるフランソワ・ピナール
(C)2009 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC.

映画『インビクタス 負けざる者たち』のラスト

南アフリカ代表「スプリングボクス」は翌年時刻にて開催されるワールドカップに向けて、練習を重ねていきます。

その間、貧困地区の黒人の子供達へラグビー指導したり、マンデラが収監されていた刑務所を訪問したり、地道な活動も続けるチーム。

やがてチームの人気はだんだんと付いてきて、国内だけではなく、世界からも注目される存在となっていきました。

そして迎えたラグビー・ワールドカップ。スプリングブクスは予想を超えた快進撃をみせ、決勝戦へと駒を進めます。

決勝戦の相手は強豪ニュージーランド代表「オールブラックス」。伝統の「ハカ」で圧倒的な存在感を見せつけます。

一進一退の攻防を繰り広げた両チームの戦いは大会初の延長戦へともつれ込みます。

ボグスはドロップゴール一本分優位に立ち、決死でそれを守りきり何とか優勝することができました。

歓喜に湧くスタジアムで、キャプテンのピナールは全国民、そして国を一つにした大統領マンデラのおかけと言います。

マンデラも優勝カップを手にし、それは国が一つになった瞬間でもありました。

マンデラは官邸にもどる最中、人種関係なく歓喜に沸く人々を眺めながらインビクタスの詩を思いだし、その瞬間に浸るのでした。

マンデラの心を汲むようなイーストウッドの表現力

今作は実話を元にした映画なのですが、そこに作為性は全く感じられず、イーストウッドはサラリと、淡白とも言えるような形で描いています。

それなのになぜこれほど心を動かされるのか。そこにはマンデラの「赦し」の心にあると思います。

長い間迫害を受け続けた黒人たち。それに抵抗する象徴でもあったマンデラ自身、27年もの間を獄中生活で奪われました。

劇中、ロベン島を訪れたピナールたちは、マンデラの獄中生活の想いを馳せます。

映画の中では、マンデラの過去や南アフリカの歴史についてほとんど触れることはありません。

この映画で描かれる、伝えたいことはこれからの南アフリカの姿なんだと思います。

ラグビー用語で「ノーサイド」という言葉がありますよね。

ラグビーの試合終了を意味する言葉で、ノーサイド=敵味方なしという意味でもあります。

南アフリカのW杯優勝で試合がノーサイドになると同時に、マンデラの目指した民族融和へ、確かな一歩を進めたような気がします。

『インビクタス/負けざる者たち』の名言

ラグビーを通して南アフリカの民族融和を実現したネルソン・マンデラ。本作には数々の名言が登場しています。

  • 何事も成功するまでは不可能に感じるものだ
  • 本当の和解はただ単に過去を忘れ去ることではない
  • 貧困は自然に出来たものではなく、人間から発生したものだ。だから根絶もできる。

まとめ:マンデラの信念は受け継がれる

今回はクリント・イーストウッド監督作『インビクタス/負けざる者たち』をご紹介しました。

ラグビーを通して南アフリカの再建を果たしたネルソン・マンデラ。しかし、その後の南アフリカ共和国は決して順風満帆な歩みをしているわけではありません。

しかし、マンデラの信念、彼のもたらした団結は国の成長のために大きな力となりました。そしてそれは一人ひとりの国民がラグビー選手のように、パスをしながらじっくりと前に進んでいく様子と重なります。

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