今回ご紹介する映画は、『スイス・アーミー・マン』です。
ダニエルズによる2016年製作の映画で、孤独な男と便利な死体との冒険を描いたドラマ。
監督・脚本はダニエル・シャイナートとダニエル・クワンのコンビ、ダニエルズ。“エブエブ”こと『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が話題を呼んでいる大注目の監督です。
“エブエブ”の公開に合わせて見返したのですが、改めて素晴らしい映画でした…!
本記事では、映画『スイス・アーミー・マン』のあらすじと解説・考察をネタバレありで紹介します。
ある人にとっては下品で気持ち悪い映画、ある人にとっては人生を救われる映画になる、不思議な魅力がある映画でした。
映画『スイス・アーミー・マン』の作品情報
『スイス・アーミー・マン』
5段階評価
ストーリー :
キャラクター:
映像・音楽 :
エンタメ度 :
あらすじ
無人島でひとり孤独な青年・ハンク。いくら待てども助けが来ず、自ら命を絶とうとしたその時、男の死体が流れ着く。さまざまな便利機能を持つその死体・メニーは記憶を失くし、生きる喜びを知らない。ハンクとメニーは力を合わせることを約束する。
作品情報
タイトル | スイス・アーミー・マン |
原題 | Swiss Army Man |
監督 | ダニエル・シャイナート ダニエル・クワン |
脚本 | ダニエル・シャイナート ダニエル・クワン |
出演 | ポール・ダノ ダニエル・ラドクリフ メアリー・エリザベス・ウィンステッド |
撮影 | ラーキン・サイプル |
音楽 | アンディ・ハル ロバート・マクダウェル |
編集 | マシュー・ハンナム |
製作国 | アメリカ |
製作年 | 2016年 |
上映時間 | 97分 |
予告編
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配信サイト | 配信状況 |
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おすすめポイント
クソみたいな人生だけど、生きてみよう。
“ダニエルズ”監督&ポール・ダノ主演、『ハリー・ポッター』のダニエル・ラドクリフが便利な死体役を演じた映画。
「オナラに笑わされ、オナラに泣かされる」とは思いませんでした。
汚らしい映画といえばそれまでですが、その中に美しい瞬間がある、クソみたいな人生でも希望はあると思えた映画です。
『スイス・アーミー・マン』のスタッフ・キャスト
監督:ダニエルズ
名前 | ダニエル・シャイナート(画像左) ダニエル・クワン(画像右) |
生年月日 | 1987年2月10日(シャイナート) 1988年6月7日(クワン) |
出身 | アメリカ・マサチューセッツ州(シャイナート) アメリカ・アラバマ州(クワン) |
監督・脚本を手掛けたのは、アメリカの映画監督“ダニエルズ”こと、ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートの2人。
大学で映画を学んでいる時に出会ってコンビを結成した2人は、フォスター・ザ・ピープルやシンズなど、アーティストのミュージックビデオを監督してきました。
『スイス・アーミー・マン』は、そんな2人の初となる長編映画の監督デビュー作。
2022年アカデミー賞で大注目の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』では、作品賞を含む3部門でノミネートされています。
まさに今大注目の監督!
ポール・ダノ
無人島で一人孤独を抱えて死のうとした男ハンク役を演じたのは、アメリカ出身の俳優ポール・ダノ。
主な出演作
- 『リトル・ミス・サンシャイン』
- 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
- 『ルビー・スパークス』
- 『THE BATMAN ザ・バットマン』
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』では英国アカデミー賞助演男優賞にノミネートされました。
数々の名俳優(ダニエル・デイ=ルイス、ロバート・デ・ニーロ、トム・クルーズ、ブラッド・ピット、ハリソン・フォードなど)と共演した経験や、高い演技力に定評があります。
2022年の『THE BATMAN ザ・バットマン』では、バットマンを翻弄するヴィラン、リドラー役を演じて話題になりました。
ポール・ダノの出演する映画は間違いないって思っています!
ダニエル・ラドクリフ
便利な死体メニーを演じたのは、イギリスの俳優ダニエル・ラドクリフ。
主な出演作
- 『ハリー・ポッター』シリーズ
- 『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』
- 『ガンズ・アキンボ』
ご存じ『ハリー・ポッター』シリーズの主人公として若くして世界的スターとなった彼ですが、“ハリポタ”以降、本作を始め、風変わりで個性的な役柄を演じています。
米「Empire」 誌のインタビューでは、「あまりにも大きな成功を早い段階でおさめたから、信じられないほど開放された気分」と語っています。
世界的ヒットの影響で、ハリー・ポッターとしての印象が強い彼ですが、本作を見れば俳優ダニエル・ラドクリフとして素晴らしい役者であることが分かります。
ネタバレあり
以下では、映画の結末に関するネタバレに触れています。注意の上、お読みください。
【ネタバレあらすじ】『スイス・アーミー・マン』の物語
無人島に置き去りにされた男、ハンク・トンプソン。誰も助けが来ず、孤独で首を吊ろうとしていたところ、浜辺に男性が打ち上げられていることを目撃する。
男はすでに死んでいたが、死体から絶え間なくオナラを発していることに気づく。それによって死体が水面に浮いていることに気づいたハンクは、死体に跨り、オナラの推進力でジェットスキーのように海を渡り、とある海岸へ上陸する。
メニー
その夜、ふたりは雨をしのぐため洞窟で過ごした。翌朝、死体の口から井戸のように水が出てくることを発見。さらに死体が「メニー」と名乗り、話し始めるのだった。
海岸で拾ったポルノ雑誌をみたメニーが勃起すると、その性器の隆起する方向がコンパスになると発見したハンク。生前の記憶を失ったメニーに、ハンクは人生について色々と説こうとするも、メニーの子どもじみた反応に苛立っていた。
ある時、ハンクのスマホに映っていた女性・サラをみたメニーは、「彼女を知っているかもしれない」と言い出す。メニーにそそのかされ、ハンクはサラの格好を真似してみると、メニーは「美しい」というのだった。
「彼女を思い出せば救えるかもしれない」と、そこから木の枝やゴミなどを使い、バスに乗っているサラとのシチュエーションを再現したり、サラとのやり取りを想定して演じていく。
サラ
ある時、2人は川にかかったパイプラインを渡っていた際に、途中で落下してしまい、水の中へ落ちていくが、キスをしたことでメニーの尻にはめた栓が外れ、オナラで浮上して2人は助かる。
ハンクは、近くで車の走る音を耳にし、スマホの電波も届く場所に来ていることを知る。メニーに知らせようとすると、大きな熊に襲われてしまうのだった。
そんな中、メニーはハンクのスマホのSNSでサラに夫がいることを知り、ショックを受ける。ピンチになるハンクだったが、メニーが初めて自分の力で体を動かし、なんとか熊を退散させる。
ハンク
その後、メニーは気絶したハンクを担いでいくと、サラが住んでいる家へとたどり着く。
サラの娘クリシーと庭で対面するが、気味悪い2人の姿を見て泣き出してしまう。それを心配したサラがやってくると、彼女が助けを呼んでくたことで、警察や救助隊、地元テレビやハンクの父親も駆けつける。
メニーは動かなくなり、死体として連れて行かれそうになっていた。ハンクはメニーを抱えて森へと逃げ出す。
その様子を見たクリシーが付いていき、サラや警察、地元テレビや父親も追いかけて海岸へたどり着く。
ハンクは手錠をかけられてしまうが、そんな中、みんなの前でオナラをする。メニーに声をかけながらも連行されていくが、メニーから激しいオナラの音が聞こえてくるのだった。
人々はあっけに取られていた。ハンクが海の中へメニーを誘導すると、オナラの推進力でメニーは笑みを浮かべながら遠い沖まで進んでいく。
その様子を見つめるハンクの表情は穏やかだった。
【ネタバレ解説】死にたい人間と生きたい死体
『スイス・アーミー・マン』は、無人島に取り残されて孤独を抱える男が、便利な死体と出会って旅をする映画です。
あらすじを読めば「何を言っているんだ」というような物語。人によっては完全に受け付けないと感じる人もいるでしょう。ただ、一方で、この映画を観て生きる希望の光を見出す人も絶対にいるはず。
この映画、一言で言えば、「ユニーク」なんですよね。こんな映画観たことないというような、唯一無二の世界観。
なにせ、孤独を抱えて自殺しようとした男が、死体に生きる意味を説く映画なんですから。
米メディア「COMPLEX」のインタビューで、ダニエルズ監督は「最初のオナラで笑わせ、最後のオナラで泣かせる映画を作りたかった」と主演のポール・ダノを通して言っています。
ハチャメチャで一体何を言っているんだと言いたくなりますが、あながち間違ってもいない、人生について考える物語でもありました。
タイトル『スイス・アーミー・マン』の意味
『スイス・アーミー・マン』というタイトルですが、これは「スイスアーミーナイフ」に由来しています。
死体であるメニーが、いわゆる十徳ナイフのように様々な能力を持っていることを文字っています。
それにしてもダニエル・ラドクリフの「死体演技」には驚かされました。多くの場面で自らスタンドしているそうで、死体ゆえの力が入らない様子や、ぐったり感はすごいとしか言えません。
逆転する構図
冒頭、ハンクが言うセリフが効果的に物語全体を印象づけます。
死ぬ直前に、見えるって願ってたんだよ…
人生の素晴らしい瞬間が、走馬灯のように見えるって…
© 2016 Ironworks Productions, LLC.
しかし、走馬灯を見ることはできなかったハンク。劇中、メニーの記憶を取り戻すため、ハンクはスマホの待受にしているサラという女性を演じることで、社会的な規範を教えていきます。
メニーに対して、どうやったら彼女に話しかけることができるのかを説くハンクでしたが、彼自身それを知っていながらもできなかった。
そんな彼女との「もしもの世界」に自分を投影してメニーと演じていたのです。一方で、メニーはサラとの生活を原動力に帰る意志を強めていきます。
しかし、サラとの接点はなく、ハンクに騙されていたことを知ったメニーは、死体にしてなお、改めて死にたいと思ってしまいます。
このとき、メニーの思考がハンクにリンクし、メニーとサラを演じるハンクの楽しい記憶がフラッシュバックしてハンクに共有されるのです。自分が死のうとしたときには見られなかった走馬灯が見えるのです。
そしてその後、物語後半でメニーが自分の力で動き出し、熊に襲われて危ないハンクを助けるのです。
死にたいと絶望した人間が、死に瀕した人間を助けようとする。まさに冒頭のハンクとメニーが逆転の構図となっています。
【ネタバレ考察】メニーとは、ハンクとは一体何だったのか
『スイス・アーミー・マン』はいろんな解釈ができる自由度の高い映画ですが、メニーとは一体何だったのでしょうか。
メニーがハンクの幻覚やイマジナリーフレンドだったのか、実在したのかはわかりません。ただ、私には、メニーはハンク自身だったように思えました。
メニーが自分の力で動き出した後、サラの娘のクリシーに気持ち悪いと泣き出されてしまったことでメニーは再び動くのを止めて死体になっていました。
これによって、メニーのような存在が社会に受け入れられない現実が伝わってきます。
改めて本作を観て感じたのは、私はハンクが恋愛的な意味でサラが好きだったのではないということ。
サラがハンクのスマホ画面に自分姿が写っていたことを知ったときのやり取りです。
サラ:どうして私の写真がスマホに入ってるの?
ハンク:許して。あなたは幸せそうに見えたから。僕は違ったので。
© 2016 Ironworks Productions, LLC.
もちろん、ハンクはサラが好きだったと思いますが、彼女が幸せそうに見えたこと、さらに言うと、幸せそうな彼女を通して、自分の望んだ素晴らしい人生をサラに投影していたのだと思います。
中盤、バスの窓から移りゆく景色を眺めるシーンとその後のサラとの出会いの再現がとても美しく、メニーは思わず「これこそが、僕が忘れていた記憶なんだ」と口にします。
このシーン、この映画の中でも最も美しいと思ったシーンでした…!
ハンクは、ただ孤独だった。愛されたかった人間なのです。
冒頭、ハンクが書いたとみられる「I don't want to die alone.(孤独に死にたくない)」でもそれは伝わります。ハンクはもしかすると、死ぬために自ら無人島にやってきたのかもしれません。
メニーを抱えて逃げだそうとする直前、父親とこんな会話をしています。
父:ハンク、母さんが悲しむぞ。
ハンク:母さんは喜んでくれるさ。
© 2016 Ironworks Productions, LLC.
ここでハンクは「I think she'd be happy somebody loves me.」つまり、「誰かが自分を愛してくれたら」と言っているのです。
劇中で、何度か使われる「retarded(知能の遅れた)」という言葉。これは、ハンクが父親からよく言われていた言葉でした。そんなハンクもメニーに対して無意識に使ってしまい「父親みたいだ」と反省していました。
ハンクは父親に愛されなかった。それはハンクだと間違われて死体を確認しなかった父親の姿と、その後、生きていた息子にすぐ「retarded」の言葉を使っていたことからも明らか。
一方で、そんなハンクがする、ラストシーンでのオナラはとても心に残ります。
オナラが意味していたもの
『スイス・アーミー・マン』の物語は、オナラをしまくる様子や、際どい下ネタが盛りだくさんのため、不快に感じる人も多いと思います。
しかし、それは決して下品なだけではありませんでした。
オナラとは、食事や空気などで体内に取り込んだガスを体外へ排出する生理現象。
この映画のオナラは、自分自身の思いや思考を表現することへのメタファーだったように思います。
ハンクはメニーに社会的規範を教える中で、「頭に浮かんだことをそのまま口にするのはダメだよ」と言ったり、「人は他人のオナラを好まない」と言っていました。
つまり、社会において「オナラ」つまり、自分の考えが抑圧されていることを描いています。
これは私たち日本人にとってもかなり身近に感じるところですよね。日々、SNSなどを通して誰かが叩かれたり、個人の声が集団でかき消されることは多々あります。
そんなハンクでしたが、ラストでは自分のオナラを堂々とみんなの前で放出します。海へ返したメニーがオナラの推進力で笑顔で遠くまで行くように、見守るハンクも清々しい表情でした。
冒頭で死のうとしていたハンクでしたが、ラストの表情からは、もう死のうとは決して思えないのです。
『スイス・アーミー・マン』は、下ネタやオナラ、ゴミに塗れた「汚らしい」映画に感じるかもしれません。
最後に、サラに会うことを「怖かった」と、自分を卑下するハンクに対してメニーが言うセリフを紹介します。
みんな誰だって少しは醜いものだよ。
でも、たった一人「それでも大丈夫」って言ってくれる人がいれば、みんな歌って踊ってオナラだってできる。
そうなれば少しは寂しくなくなるさ。
© 2016 Ironworks Productions, LLC.
まとめ:クソみたいな人生で生きることの意味
今回は、映画『スイス・アーミー・マン』をご紹介しました。
孤独な男と死体との出会いを通して、生きるとはなにか、幸せな人生について考えさせる映画でした。
無人島映画という意味では、無人島で孤独と向き合う名作『キャスト・アウェイ』に登場する“ウィルソン”を極限までに変な方向にして描いた作品のようにも思えるかもしれません。
有名な話ですが、ハーバード大学が75年かけた調査では、「人間の幸福とは良質な人関係である」と結論づけています。
孤独は辛い。誰もが愛されたいと願っている。そんな中で、「大丈夫」と言ってくれる人が一人でもいれば生きていける。
ある意味、『天気の子』にも通じる部分も感じましたね。
汚らしい映画かもしれませんが、汚い映画の中にも美しい瞬間が多々あるように、クソみたいな人生にも希望はある。
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