今回ご紹介する映画は『夜明けのすべて』です。
『そして、バトンは渡された』の瀬尾まいこの原作を、『ケイコ 目を澄ませて』の三宅唱監督が、松村北斗&上白石萌音のダブル主演で映画化。
本記事では、ネタバレありで『夜明けのすべて』を観た感想・考察、あらすじを解説。
原作のアレンジの仕方と主演2人の醸し出す空気感がとても心地よい、素晴らしい映画でした!
『夜明けのすべて』作品情報・配信・予告・評価
『夜明けのすべて』
5段階評価
ストーリー :
キャラクター:
映像・音楽 :
エンタメ度 :
あらすじ
月に一度、PMS(月経前症候群)でイライラが抑えられなくなる藤沢さんはある日、同僚・山添くんに怒りを爆発させてしまう。一方、転職してきたばかりの山添くんはパニック障害を抱えていた。2人は職場の人たちの理解に支えられながら少しずつ互いを知っていく。
作品情報
タイトル | 夜明けのすべて |
原作 | 瀬尾まいこ |
監督 | 三宅唱 |
脚本 | 和田清人 三宅唱 |
出演 | 松村北斗 上白石萌音 光石研 りょう 渋川清彦 芋生悠 藤間爽子 |
音楽 | Hi'Spec |
撮影 | 月永雄太 |
編集 | 大川景子 |
製作国 | 日本 |
製作年 | 2024年 |
上映時間 | 119分 |
予告編
↓クリックでYouTube が開きます↓
配信サイトで視聴する
映画館で公開中(公式サイトはこちら)
『夜明けのすべて』監督・スタッフ・原作
監督:三宅唱
名前 | 三宅 唱(みやけ しょう) |
生年月日 | 1984年7月18日 |
出身 | 日本・北海道 |
監督は『きみの鳥はうたえる』『ケイコ 目を澄ませて』の三宅唱監督。
前作では、下町のボクシングジムを舞台にしていましたが、本作は下町の町工場を舞台にしており、監督がスポットライトを当てる人々に明確な意図を感じさせます。
撮影は前作に引き続き、16mmフィルムでの撮影を撮影監督の月永雄太さんが担当。
原作:瀬尾まいこ
夜明けのすべて 瀬尾まいこ Amazonでみてみる |
原作は、2019年に『そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞し、映画化もされた瀬尾まいこ氏の同名小説。原作は非常に読みやすい文体で、主人公2人の変化を少しずつ描いています。
「お守り」や「ボヘミアン・ラプソディ」のエピソードなど、映画にはない2人のエピソードなど、映画と比べて読んでみるのもおすすめです。
『夜明けのすべて』キャスト・キャラクター解説
キャラクター | 役名/キャスト/役柄 |
---|---|
山添くん(松村北斗) パニック障害を抱えており、栗田科学に転職してきたばかり。 | |
藤沢さん(上白石萌音) 数年前に転職し栗田科学で働く。PMSによって月に一度、怒りを爆発させてしまうことがある。 | |
栗田和夫(光石研) 山添くんと藤沢さんが勤める栗田科学の社長。 | |
辻本憲彦(渋川清彦) 山添くんの前の職場の上司。 | |
藤沢倫子(りょう) 藤沢さんの母親。 | |
大島千尋(芋生悠) 山添くんの恋人。 | |
岩田真奈美(藤間爽子) 藤沢さんの友人。 |
ダブル主演:松村北斗&上白石萌音
名前 | 松村 北斗(まつむら ほくと) |
生年月日 | 1995年6月18日 |
出身 | 日本・静岡県 |
名前 | 上白石 萌音(かみしらいし もね) |
生年月日 | 1998年1月27日 |
出身 | 日本・鹿児島県 |
本作は、松村北斗と上白石萌音のダブル主演。
2人は上白石萌音さんが主演のひとりを演じたNHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で、夫婦役として共演しています。
本作の2人は、PMS(月経前症候群)とパニック障害を抱える主人公。その関係は「恋愛関係」ではなく、その名付けようのない(名付ける必要のない)関係性を自然に、見事に演じていました。
ネタバレあり
以下では、映画の結末に関するネタバレに触れています。注意の上、お読みください。
『夜明けのすべて』原作との違い・タイトルの意味
©瀬尾まいこ/2024 「夜明けのすべて」製作委員会
『夜明けのすべて』は、社員6名の小さな会社「栗田科学」に転職した、PMS(月経前症候群)を抱える女性とパニック障害を抱える男性の日常と、2人を囲む人々の姿を優しいタッチで映した映画です。
瀬尾まいこ氏の原作の柔らかさと、映画の映し出す優しさがどちらも素晴らしい作品です。映画は原作小説をアレンジしてオリジナルの描き方をしているところがありました。
以下では、映画と原作の主な違いと、特に印象的だった3つのポイントについて、詳しくみていきます。
「栗田金属」と「栗田科学」
原作との大きな違いのひとつが、物語の舞台となる職場の仕事内容。
原作では「栗田金属」という会社名で、主に建築資材や金物を取り扱う職場でしたが、映画では、「栗田科学」というプラネタリウムを取り扱う会社になっています。
このプラネタリウム、ひいては星や宇宙の要素を物語に取り入れることにより、映画のタイトル『夜明けのすべて』が指し示すような、夜明けの要素を感じられる内容となっており、それが後述する映画のラストシーンに対応しています。
登場人物の「喪失」と関係性
原作との大きな違いの2つ目が、登場人物の「喪失」と「関係性」の描き方です。
栗田科学の社長(演:光石研)と、山添くんの前の職場の上司・辻本(演:渋川清彦)の関係性が特に印象的です。原作では、2人に繋がりは描かれていませんが、映画では、グリーフケアのグループセラピーで一緒になっています。
それぞれが身近な人を喪失し、向き合っている中で、パニック障害を抱える山添くんの上司として見守っている様子が描かれています。転職エージェントの女性が子供からの電話に出る様子や、山添くんの恋人が藤沢さんと会ったときの会話や、グリーフケアの司会者の女性が明かす動機なども同様です。
これらが象徴するように、本作は、記号的な「ただの良い人」ではない、その人の人生が垣間見える瞬間・理由がちゃんと存在していることで、物語に深みをもたらしていると同時に、登場人物が生きていることを実感します。
『夜明けのすべて』は、いわゆる起承転結の「転」の部分がないような物語で、主人公の2人と周囲の人間たちとの交流を描き、少しずつ変化を描いている作品です。
映画は、その「転」に当たる部分をさらに曖昧にしていて、徹底して「人間」を映すことに注力していることが伝わりました。これが本作の最大の魅力でもあり三宅唱監督の見事としか言えない手腕が光る部分でした。
例えば、山添くんの恋人がロンドンに転勤が決まり、2人が離れることになる会話のシーンを描かないことや、原作で藤沢さんが盲腸になったことで山添くんが見舞いに行くエピソードが、早退とスマホを届けにいく場面になっていることなどが挙げられます。
さらに原作では、新年を迎えて、山添くんの郵便受けに3つのお守りが入っていたエピソードがあり、山添くんにお守りの贈り主を調べてみるように藤沢さんが提案し、その過程で前の職場の上司と社長の優しさを感じるというエピソードがありました。
映画は、その2人を身近な人の喪失によって繋ぐことで、パニック障害とPMSの当事者の若者たちと、2人を見守る親世代の眼差しを映し、さらに同僚(演:久保田磨希)の子どもたちが、栗田科学のドキュメンタリー番組を撮る様子を加え、人間と社会との繋がりを複層的なレイヤーにして表現しています。
主人公2人の「その先」
実は、原作小説では、藤沢さんと山添くんが少しずつ動き始めたところで物語が終わります。
原作では、山添くんは「栗田金属でも、できることはある」と新企画を考え、藤沢さんと一緒に計画します。会社の倉庫をオープンにして、休日に人々を集めるイベントを開こうと提案し、それを進めていくところで終わります。
山添くんは藤沢さんとの出会いと関わりによって、物語のラストでは薬の量を減らしてみることになり、明日のことを考えながら、自転車のペダルを漕ぐというラストシーンになっていました。
一方、映画では、原作小説が描かなかった「その先」を描いています。2人は企画立案したプラネタリウム上映会をやり遂げます。2人は栗田科学からの転職を考えていますが、それはネガティブな理由ではありません。
前の会社に復帰しようと考えていた山添くんは、栗田科学に残ることを決断し、藤沢さんは母の介護のために実家の近くの職場に転職することになります。藤沢さんが転職を選ぶ明確な理由付けも見事。
原作の映画化として本作が素晴らしいのは、原作がじんわりと「夜明け」を表すような2人の前進の兆しを描いて終わったことに対して、同じ描き方ではなく「その先」を描き、それを登場人物や職場と対応させて表現しているところにあると思います。
栗田科学の社長には、共に会社を支えてきた弟がいました。しかし彼は亡くなり、社長はその喪失感をずっと抱えています。映画は、2人が、社長の弟が遺したメモや情報を活用して、前に進む推進力としているのです。
映画では、職場の設定をプラネタリウムの会社にしていることで、登場する星や宇宙の話と、2人の主人公の様子が重ねられていることが絶妙な効果をもたらしています。
社長の弟が遺したものを、山添くんと藤沢さんが新しい形にして届けるのは、今見ている星の輝きが、数千年前の過去の光である様子と重なり、地球が常に自転するように、人生も常に変化し、暗い夜を過ごすときもあれば太陽の光に当たることもあるのです。
厚かましいような優しさが、救いになることもある
©瀬尾まいこ/2024 「夜明けのすべて」製作委員会
『夜明けのすべて』は、先述のように、原作を見事にアレンジするオリジナル要素と、それを裏付ける三宅唱監督の優れた演出が素晴らしい映画でした。
主演の松村北斗さんと上白石萌音さんの演技はとても自然で、16mmフィルム撮影の質感も相まって、2人の会話をとても身近なものに感じることができます。
本作が描くPMSもパニック障害も、その症状は目に見えて明らかなものではありません。しかし、PMSによる苛立ちと怒り、パニック障害による発作は、原作の文字ベースで読むよりも、映像化されることで、思わず心拍数が上がってしまう場面でもありました。
本作の特徴のひとつでもあるのが「露悪的・嫌な人物」が登場しない物語であること。それは、この作品が対立ではなく、2人の主人公や抱えるものを通じて、人々が持つバイアスや固定観念、「わからなさ」へのアプローチを描いている物語であるからだと感じます。
ありのまま生きているように見える人も、そんな強い自分であるために、どこかで無理をしている。他人がどう思うかを考慮せず、自分の心だけに従って動ける人は、めったにいないはずだ。
ただ、相手によって、そんなかまえを外せることはあるのかもしれない。
瀬尾まいこ『夜明けのすべて』より
藤沢さんにとっても、山添くんにとっても、お互いの気持ちや抱える悩みを本当の意味で「わかる」ことはできないでしょう。それは、冒頭の「病気をランク付けする」会話でも現れていました。
原作や映画を観ればわかるように、藤沢さんと山添くんの間には恋愛感情はありません。2人はときにドライと言えるほど、それぞれの本音を交えて会話しているのも印象的です。
2人はそれぞれ「PMS」と「パニック障害」という診断名があり、それぞれが抱える言葉にできない気持ちは、診断名があることで、その心理的負担は多少軽減されると思います。一方で、本作を観た人なら感じると思いますが、2人の特異な関係性を「友達以上恋人未満」のような、ありがちな言葉で定義することはしたくないのです。
みんな遠くに行ってしまったと思っていた。パニック障害を抱えてしまっているのだ。新たに誰かと打ち解けることなどないと思っていた。でも、本当にそうだろうか。
(中略)俺はすべてから切り離された場所にいるわけではない。完全な孤独など、この世の中には存在しないはずだ。
瀬尾まいこ『夜明けのすべて』より
藤沢さんも山添くんも、最初は観ていられないほどぎこちない雰囲気だったのに、いつの間にか自然な関係性になっていきます。
藤沢さんが山添くんのことを、仕事のやる気がない人だと思い込んでいたこと、山添くんが藤沢さんのことを打ち解けることなどできないと思いこんでいたこと、それらが示すように、本作は、自分の思い込みやバイアスと向き合い、問い続けています。
終盤のプラネタリウム上映会では、2人を囲む人々が集まり、星空よりもプラネタリウムの夜空を見上げる『人々の表情」が映されています。太陽の日が昇り、沈むのではなく、私たち地球が動いているように、目には見えないかもしれないけれど、確かに、ちょっとずつ変わっているのです。北極星だって、いつかは変わるのだから。
まとめ:人生は厳しいけれど、救いはある
今回は、三宅唱監督の映画『夜明けのすべて』をご紹介しました。
モノローグでは始まり、モノローグで終わるラストの構成と、主演の2人の心地の良い声がスッと耳に入り、小さな社会というプラネタリウムを覗いているような映画でした。
PMSとパニック障害というメンタルヘルスの問題を描く本作ですが、起承転結の「転」を曖昧にして、じっくり、ゆっくりと描くプロセスは、2人が一歩ずつ歩みを進めていく様子に伴走しているような優しい映画でした。
三宅唱監督監督は、原作の雰囲気を尊重しつつ、原作にあった疑問も残るエピソード{藤沢さんが山添くんのパニック障害をアウティングするところや、2人の関係を恋愛だとみなす同僚の姿)を排除していて、信頼できる描き方をする監督だと改めて感じました。今後の監督作品に目が離せません。