今回ご紹介する映画は、『MEN 同じ顔の男たち』です。
アレックス・ガーランド監督による映画で、未亡人の主人公に振りかかる得体のしれない恐怖を描いたサスペンススリラー。
本気では、映画『MEN 同じ顔の男たち』をネタバレありで解説・考察していきます。
監督の映像表現の上手さに唸らされた一本です!おすすめはしませんが。
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映画『MEN 同じ顔の男たち』の作品情報とあらすじ
『MEN 同じ顔の男たち』
5段階評価
ストーリー :
キャラクター:
映像・音楽 :
エンタメ度 :
あらすじ
夫の死を目の前で目撃してしまったハーパーは心の傷を癒すため、イギリスの田舎街を訪れる。そこで待っていたのは豪華なカントリーハウスの管理人ジェフリー。ハーパーが街へ出かけると少年、牧師、そして警察官など、出会う男たちが管理人のジェフリーと全く同じ顔であることに気づく…。
予告編
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作品情報
タイトル | MEN 同じ顔の男たち |
原題 | Men |
監督 | アレックス・ガーランド |
脚本 | アレックス・ガーランド |
出演 | ジェシー・バックリー ロリー・キニア パーパ・エッシードゥ ゲイル・ランキン サラ・トゥーミィ |
音楽 | ベン・ソーリズブリー ジェフ・バーロウ |
撮影 | ロブ・ハーディ |
編集 | ジェイク・ロバーツ |
製作国 | イギリス・アメリカ |
製作年 | 2022年 |
上映時間 | 100分 |
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『MEN 同じ顔の男たち』のスタッフ・キャスト
監督:アレックス・ガーランド
名前 | アレックス・ガーランド |
生年月日 | 1970年5月26日 |
出身 | イギリス・ロンドン |
『MEN 同じ顔の男たち』で監督・脚本を手掛けたのは、イングランド出身のアレックス・ガーランド。
元々は小説家や脚本家であり、『28日後…』のダニー・ボイル監督などとタッグを組んで活躍していましたが、2015年に『エクス・マキナ』で映画監督デビューし、いきなりアカデミー賞脚本賞にノミネート、視覚効果賞を受賞しました。
脚本家から監督になった方であるからか、監督作はすべて自ら脚本も手掛けています。また、3作目となる本作は、注目の映画スタジオA24との再タッグとなっています。
『エクス・マキナ』も非常に洗練されたSF映画で面白いので合わせておすすめです!
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ジェシー・バックリー
未亡人の主人公ハーパーを演じたのは、アイルランド出身のジェシー・バックリー。
主な出演作
- 『ワイルド・ローズ』(2018)
- 『ジュディ 虹の彼方に』(2019)
- 『もう終わりにしよう。』(2020)
- 『ロスト・ドーター』(2021)
マギー・ギレンホールの監督デビュー作『ロスト・ドーター』では、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされました。
ほかにもHBOの傑作ドラマ『チェルノブイリ』や、コーエン兄弟の映画に着想を受けたドラマ『FARGO/ファーゴ』などにも出演しています。
ロリー・キニア
カントリーハウスの管理人ジェフリーを演じたのは、イングランド出身のロリー・キニア。
主な出演作
- 『007』シリーズ
- 『ブロークン』(2012)
- 『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014)
ダニエル・クレイグ版『007』において、MI6の職員でありMの補佐であるビル・タナー役を演じています。
みんな同じ顔で登場するので、ロリー・キニアの顔が脳裏に焼き付いた人も多いのではないでしょうか!
その他のスタッフは以下の通り。『エクス・マキナ』からアレックス・ガーランド監督とタッグを組んでいる方が多く、監督の信頼できるメンバーというところでしょうかね。
製作 | アンドリュー・マクドナルド |
撮影監督 | ロブ・ハーディ |
美術 | マーク・ディグビー |
編集 | ジェイク・ロバーツ |
音楽 | ジェフ・バーロウ、ベン・ソールズベリー |
ネタバレあり
以下では、映画の結末に関するネタバレに触れています。注意の上、お読みください。
【ネタバレ感想】女性を放っておけない男性たち
いやー、かなりの問題作でした…。正直に言えば、好きな作品ではありませんでした。
とにかく不快な描写のオンパレードで、監督が描こうとしているメッセージ性とその表現が、果たして効果的なのかと疑問に感じてしまいました。
『MEN 同じ顔の男たち』は、タイトルの通り、同じ顔の男性が登場する話なのですが、まさに「Toxic masculinity(トクシック・マスキュリニティ):有害な男らしさ」を題材にした映画でした。
面白いのは、ホラー・スリラージャンルの映画でありながら、「ジャンプ・スケア(Jump Scare)」と呼ばれるワッと驚かせるような恐怖描写ではなく、日常にも潜む平凡な恐怖を描いていること。
似たような展開で言えば、得体のしれない「それ」につきまとわれるホラー映画『イット・フォローズ』に近い印象がありました。同時に閉鎖した村社会の恐怖の実態を描いた『ホット・ファズ』的でもあります。
直接的な存在の恐怖よりも、ストーカーのような「誰かいる」普遍的な怖さが恐ろしいんですよね。とはいえ、女性にとってはそれはホラーではなく現実なのだと…。
夫の自殺のフラッシュバック
冒頭、夫のジェームズが窓の外から落下する瞬間を目撃してしまったハーパー。その死の瞬間、ハーパーは、「夫のジェームズと目があっていた気がする」と言うのです。
後に、夫ジェームズが自殺したこと、そしてそれが彼女に罪悪感を植え付けるための自殺だったことが明かされます。
ハーパーは、ジェームズと離婚したいと伝えますが、感情的になったジェームズは、自分が被害者のように振る舞ったり、殴ったり、挙句の果てには「離婚するなら自殺して一生罪悪感を背負わせてやる」と言い放つのでした。
夫ジェームズのこの行動は、「受動的攻撃(Passive-aggressive)」と呼ばれる行動の典型的なひとつ。
受動的攻撃は、自分の希望通りに相手が動いてくれなかったときに、被害者側に立つことで相手に罪悪感や不快感を与える行為。
夫のジェームズが、本当に自殺するつもりだったのかは描かれませんが、その受動的攻撃性による行動は、明らかにそれによってハーパーをコントロール(支配)しようとしていたことが伝わるのです。
夫とのシーンは同じような体験をした方にとっては観るのが辛いと思いますね。
頼むから放っておいてくれ!
夫を亡くしたハーパーは、傷心を癒やすため田園地方へと向かいます。
ハーパーは、トラウマから距離を置くためにロンドンから4時間もかけて人里離れた田舎にやってきたというのに、彼女の気が休まることはありませんでした。
予約した名前を既婚女性「ミセス(Mrs.)」のまま修正していなかったハーパー。管理人のジェフリーは、無意識レベルで彼女を「マーロウ夫人」と呼び、夫がいない理由を聞き出します。
森林浴をしようと森に入ると全裸の中年男性がいたり、トンネルで声の反響を楽しんでいたら、向こうから得体のしれない男性が近づいてきたり。
教会にいったら男子学生に暴言を吐かれ、牧師に夫の話を打ち明けたら「男性はときどき女性を殴るもの。あなたは夫に謝る猶予を与えましたか?」なんて言う始末。
ハーパー自らが通報したことで全裸の男性は捕まるものの、パプに行ったらまたジェフリーに絡まれ、警察官は「本当にストーカーしていたかは分からないしね」と全裸男を釈放したと告げる次第。
そして、それらすべての男性が、屋敷の管理人ジェフリーと同じ顔をしているのです。怖すぎる…!
ハーパーは、森で気持ちを落ち着かせようとしたり、開けた田園で開放感を感じる瞬間があっても、そこには必ず男性がいるのです。
あらゆる場面において、男性が女性を放っておかない様子が描かれるのです。
なぜみんな同じ顔の男性に見えていたのか
劇中に登場する男性は、屋敷の管理人ジェフリーを同じ顔をしていました。しかし、これについてハーパーが何か尋ねるわけでもなく、男性同士も同じ顔であることには触れることはありません。
つまり、同じ顔の男性であるのは、ハーパーの目を通した世界の映像なのです。
このあたりも、あえて触れずに観客に委ねるところは絶妙な描き方でした!
【ネタバレ考察】ラストの衝撃すぎる表現
『MEN 同じ顔の男たち』において、最も衝撃的であり、話題になるのが終盤のシーンでしょう。
同じ顔の男性たちに襲われるハーパー。後半は住居侵入映画のジャンルに近くなり、屋敷に入ろうとする男たちとハーパーの攻防が描かれます。
最終的に、牧師にレイプされそうになり、ついに屋敷を車で飛び出して逃げようとするも、ジェフリーを轢いてしまったことで失敗します。
その後、唐突に衝撃のシーンは訪れるのでした。屋敷の庭に、顔から植物が生えた全裸の男性が現れ、苦しむ様子を見せると腹部が膨張し、陰部から別の男が出てくるのです。
出てくる男性はそれぞれハーパーに接触してきた少年や牧師、警官でした。そして最後に出てくるのが亡き夫のジェームズだったのです。
ヌルヌルで血まみれの状態でソファに腰掛けたジェームズは「俺は死んだ」と言い、隣りに座ったハーパーが望みを聞くと「(ハーパーからの)愛がほしい」と答えるのでした。
それに対してハーパーは、「そう」と答えて幕を閉じます。
あの気味悪いシーンは「進撃の巨人」にインスピレーションを得ていると監督が語っていますね!
ラストシーンよりも前半が秀逸
作品全体を通して「有害な男らしさ」を描く本作ですが、いささかやり過ぎな印象を受けました。
いわゆる衝撃のラストシーンが注目されがちな映画ですが、私は冒頭の一連のシーンこそ素晴らしいと感じました。
特に森の中のトンネルのシーンは印象的。
夫のトラウマに苛まれる彼女の内面を描いており、ハーパーの背中越しにトンネルの闇が迫り、その中を歩む彼女は、自分の声を重ねて喜びを感じます。
しかし、出口付近に待ち構える男性によって妨げられてしまうのです。
まさに物語全体を表したようなシーンで、MEN(男性)によって女性の進む道が絶たれてしまっているのです。
トンネル内の声の反響を、その後の劇中音楽として使用するところも素晴らしかったです!
そんな前半も、ラストのショッキングすぎる描写によって記憶が上塗りされてしまいます。
「男性が出産する様子」を繰り返すラストシーン。一体何を描いていたのか。
ひとつには、「有害な男らしさ」が生まれる無限サイクルを描いていると考えられます。
ジェフリーは7歳のときに父親から「失敗した軍人だ」と言われて育ったことを明かしていました。教会の暴言を吐いた少年も、牧師から「問題がある」と言われていました。そして、最後に産まれてきたのが夫のジェームズでしたね。
ジェフリーや教会の少年、ジェームズをはじめ、多くの男性が「男らしさ」の枠にはめられて育ってきている。そして、それらが受け継がれているのです。
受け継がれる男性性の歪みを、女性しか行えない出産という痛みを伴う形で男性に味わわせたのです。
その有害な男らしさが女性を恐怖に陥れ、ハーパーを苦しめてきたのです。
しかし、そのショッキングな男性のグロい出産シーンが繰り返されると、次第にハーパーの表情が恐怖から諦めの表情に変化しているような様子がうかがえるのでした。
ハーパーの最後の笑みは…?
衝撃のラストシーンの後、友人のライリーが屋敷に到着する様子が最後に描かれます。ハーパーは、ライリーが到着した時、ひとり外で薄っすらと笑みを浮かべながら佇んでいるのでした。
これは私の想像に過ぎないのですが、ハーパーは冒頭のジェームズが落ちていく死ぬ瞬間、実際には目があっていなかったのだと思います。
それまでの夫の態度、そして夫の受動的攻撃性による「離婚するなら自殺する」という脅迫めいた行動によって、そう思わざるを得なかったのではないでしょうか。
恐らく、ジェームズ自身も本当に自殺するつもりではなく、上の階から部屋に侵入しようとしてスベったのだと思います。
思い返してみると、ジェームズの死体の向きは窓を背にした方向でしたしね!
そんな中、最後のシーンで、ハーパーの手にしていた斧は葉っぱに変わっていました。
つまり、ハーパーは夫という「男性」を殺さなかったのだと思います(実際には殺したけど、描かれていないだけかもしれませんが)。
彼女は自らの心と向き合い、自分の中で処理するのです。それは直接的な勝利として夫のトラウマに打ち勝つのではなく、折り合いをつけるという意味があったように感じます。
彼女の内面のカタルシス(浄化)とも感じられる描写ですが、夫というアンコントローラブルな存在ではなく、自分で自分の心をコントロールしたのだと感じました。
単に夫を斧でブチ殺すようなスカッとするシーンで終わっていないのは良かったですね!
アレックス・ガーランド監督は、『エクス・マキナ』や『アナイアレイション 全滅領域』においても女性の描き方が印象的でしたが、本作もかなり挑戦的ではありますが、近い部分を感じました。
とはいえ、出産する陰部をそのまま映して露骨にグロテスクに描くのは過激にも感じました。
ハーパーの服装も、胸元が開いたピンク色のワンピースという「女性らしさ」を露骨に描いた衣装でしたね。
さらに、ビデオ通話の画面上でしか姿が見えなかった友人のライリーが、最後に屋敷を訪れるシーンでは妊娠していることがわかります。
子どもの性別はわかりませんが、もし男性なのだとしたら、この映画の文脈で言えばなかなかに強烈な後味を与えます。
このテーマを描くエンタメとしてはかなり挑戦的で、私にはやり過ぎに思えましたね。
というのも、上手く汲み取れば映画が鏡のように働いて、無自覚な男性性を自覚する人もいると思うのですが、本作は気持ち悪さを極限まで引き上げたことで、男性からも「こんな男性はヤバイよね」という気味の悪いホラー映画の印象にしかならないんですよね。
もちろんそれが決してデフォルメではなく、今なお続く「男性優位社会において女性であることの大変さ」、そしてその背景に家父長制をはじめとする歴史や宗教的要素への関連を描く意義は感じます。
しかし、結果的に男性にとってはホラー映画のように映り、女性にとっては身近に経験のあるドラマに映るんじゃないかと思います。
他の作品と比べるのは好きじゃないですが、私は本作をおすすめするよりも『プロミシング・ヤング・ウーマン』や同時期に公開されている『あのこと』(劇場で公開中)などをおすすめしたくなってしまいました。
ネタバレ考察『プロミシング・ヤング・ウーマン』復讐映画の枠を超えた怪作であり傑作
【ネタバレ考察】映画に登場するモチーフの数々
『MEN 同じ顔の男たち』の物語では、テーマを彩る数々のモチーフが登場します。
その代表的なのが、先に紹介したトンネル。女性の進む道に立ちふさがる男性を描いていました。そのほかのモチーフについても簡単にご紹介します。
シーラ・ナ・ギグとグリーンマン
ハーパーが訪れる教会の中にあった一対の彫刻。あれには明確な引用元があります。
女性の外陰部を広げてデフォルメして描いた裸体の彫刻シーラ・ナ・ギグと、顔を葉で覆われた彫刻グリーンマン。
インタビューで、アレックス・ガーランド監督がこのシンボルに夢中になったと語るこのモチーフ。
シーラ・ナ・ギグは、イギリスやアイルランドの建物にみられる彫刻で、建物を守る厄除けの効果として使われていた。グリーンマンは、中世の教会建築に見られる彫刻で、植物を始めとした土着信仰や豊饒、異教徒のシンボルとされる。※どちらも明確な答えはなく諸説あり
終盤におけるグリーンマンとなった全裸男性から、男たちが何回も産まれて最終的にジェームズが出てくる描写は、古くから現代に至るまでに何世代にも渡る「有害な男らしさ」の継承を描いていました。
面白いのは、受け継がれてきた「有害な男らしさ」の末路が、女性に無償の愛を求める退行(幼児化)した様子になっていること。
その一部始終を目の当たりにしたハーパーだからこそ、半ば諦めのような表情で、自分で自分の心と折り合いをつけられらたのだと思います。
リンゴと禁断の果実とキリスト教
屋敷に訪れたハーパーが、庭のリンゴをかじったことで、ジェフリーから「禁断の果実だ」と冗談を言われる気味の悪いシーン。
これはキリスト教における「原罪」の描写を彷彿とさせます。
旧約聖書において、アダムとイブがエデンの園で神にそむき、禁断の木の実を食べてしまったことを、キリスト教では神に対する不服従の罪(原罪)としている。
この出来事によってエデンを追われることになるのが、いわゆる「失楽園」です。これによって人間に死がもたらされ、男性は労働の苦役、女性は出産の苦しみがもたらされたとされています。
つまり、キリスト教によって「男性らしさと女性らしさ」の模範が示されているため、牧師のハーパーに対する発言も、夫のジェームズが離婚を切り出されたときに「教会での愛の誓い」を持ち出したことも、そもそものキリスト教の規範に通じる背景があったのです。
過半数がキリスト教であるイギリスですが、キリスト教と異教徒(グリーンマン)に「有害な男らしさ」の根本を見出す切り込んだ描き方をしていました!
ギリシャ神話
終盤で、ハーパーが逃げ込んだバスルームに侵入してきた牧師。牧師はハーパーに迫りますが、そのときに口にしていた言葉はウィリアム・B・イェイツの詩集のひとつ「レダと白鳥」でした。
レダと白鳥の物語は、ギリシャ神話の一遍。レダという女性を愛した最高神ゼウスが、白鳥の姿に化けて子どもを産ませるという話。それによって産まれた子どもを巡ってトロイア戦争が巻き起こる。
牧師という仮面をかぶってハーパーに迫る様子は「レダと白鳥」に重なります。
話を広げれば、自らを神(支配的である)と思っている男性の有害さ=ミソジニーを描いたのでしょう。
タンポポと綿毛
劇中で繰り返しインサートされるタンポポと綿毛。終盤ではグリーンマンがハーパーに吹きかけて綿毛を飛ばすシーンがありました。
日本の一般的なタンポポは、昆虫が花粉を運び受粉する「虫媒花(ちゅうばいか)」であり、自分の花粉では受精できない自家不和合性という性質をもっています。
一方で、ヨーロッパのタンポポ(セイヨウタンポポ)は無融合生殖種といって、受粉せずに自ら種を増やすことができるのです。また、タンポポの花言葉には「愛の神託」という意味もあります。
これらから想像するに、タンポポを女性のモチーフとして、愛を与える存在の役割を見出しているようにも思えます。
オープニングとエンディング歌の意味
『MEN 同じ顔の男たち』の冒頭とエンディングでは、同じ曲が流れます。
これは、レスリー・ダンカンの「Love Song」という楽曲で、エンディングはエルトン・ジョンがカバーしたバージョンになっています。
Love is the opening door
Love is what we came here for
No one could offer you more
Do you know what I mean
Have your eyes really seen(以下、歌詞の翻訳)
愛が扉を開いている
Lesley Duncan「LOVE SONG」歌詞より
愛が僕たちをここに引き寄せたんだ
もう誰も邪魔しに来ないよ
僕の言ってることが分かる?
僕をしっかり見て
「Love Song」のタイトルの通り、愛を描いた楽曲ですが、映画の文脈で読み解くと、男性が女性に愛を提供する役割を求めているようにも捉えることができます。まさにラストシーンのジェームズに通じるところ。
さらに、レスリー・ダンカンを有名にしたのが、楽曲「Love Song」をエルトン・ジョンがカバーしたことがきっかけだというのだから面白い。
エルトン・ジョンは後にバイセクシュアルをカミングアウトしていますが、有名な男性歌手がカバーしたことによって女性歌手が有名になった構造なのです。
絶妙と言うか、意地悪さすら感じる楽曲センスですよ…!
最後に…
繰り返しになりますが、『MEN 同じ顔の男たち』は、「有害な男らしさ」をテーマに描いたスリラー映画で、その描き方は決して好きになれませんが、アレックス・ガーランド監督の映像表現力の高さには驚かされます。
先に紹介した神話や宗教による寓話的な要素もそうですが、特筆すべきは前半から中盤までの美しい自然描写の中でこの物語を描いたこと。
トンネルシーンの声のエコーだったり、水の揺らめく波紋やタンポポの綿毛も、「男らしさ」の継承を伝える隠喩としては絶妙にハマっています。
アレックス・ガーランド監督は、答えを示さないことであえて考えさせる内容にしているとインタビューで語っていました。
とはいえ、モチーフは渋滞気味な一方で、過激な描写は多く、しかしながら詳しくは説明されないというフラストレーションが残る不思議な映画になっているんですよね。
正直にいって、それらが「有害な男性らしさ」を語る上で効果的なのかを考えると回りくどく、多くの人にとって「気味の悪いホラー映画」に留まってしまっている印象を感じます。
ある意味、「A24配給×アレックス・ガーランド」のタッグと考えたら絶妙なのかも知れませんがね!笑
SDGsでも掲げられている「ジェンダー平等」ですが、最後に、私をはじめとした「MEN」たちにみてほしい「有害な男らしさ」についての動画を挙げておきます(日本語字幕で観られるのでぜひ)。
アメリカの俳優、ジャスティン・バルドーニによるTEDトーク。そこで伝えているメッセージを最後に残しておきます。
「男らしさ、女らしさではなく、善き人であれ」
まとめ:気軽におすすめはできない挑戦的な映画
今回は、アレックス・ガーランド監督の映画『MEN 同じ顔の男たち』をご紹介しました。
主演のハーパーを演じたジェシー・バックリー、そして同じ顔たちを複数演じ分けたロリー・キニアの演技はまさしく素晴らしかったです。
しかしながら、過激な描写の一方でそのメッセージは曖昧というか、考察前提の印象のため、モヤモヤが残る映画でした。
アレックス・ガーランド作品は以下でチェック!